「藤堂高敏」の版間の差分

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| 官位 = [[従四位|従四位下]]、[[和泉国|和泉]]守、[[侍従]]
| 主君 = [[徳川綱吉]]→[[徳川家宣|家宣]]→[[徳川家継|家継]]→[[徳川吉宗|吉宗]]
| 藩 = [[伊勢国|伊勢]][[津藩]]主
| 氏族 = [[藤堂氏]]
| 父母 = 父:[[藤堂高通]]、母:智鏡院([[福本休悦]]娘)<br />養父:''[[藤堂高睦]]''
 
==生涯==
[[伊勢国|伊勢]][[津藩#久居藩|久居藩]]の初代藩主・[[藤堂高通]]の三男として生まれる。伊勢[[津藩]]の第2代藩主・[[藤堂高次]]の孫にあたる。2人の兄がいずれも早世したため、高通の[[嫡男]]となるが、[[1697年]]に父が死去したときにまだ5歳の幼少だったことから、久居藩の家督は叔父の[[藤堂高堅|高堅]]が中継ぎして、高敏は成長してからその跡を継ぐこととなった。ところが本家の津藩において藩主・[[藤堂高睦|高睦]]の2人の男子が全て早世したため、[[1705年]]にその養嗣子となり、[[1708年]]に高睦の死去により跡を継いだ。
 
藩政においては、[[宝永大噴火|宝永地震]]などの影響で凶作が相次ぎ財政が悪化し、正月の餅つきを中止するほどであった。
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