「埋没費用」の版間の差分

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初期投資が大きく、他に転用ができない事業ほど埋没費用は大きくなるため、投資も新規企業の参入も慎重になる。このことにより、[[寡占]]論では埋没費用の多寡が参入障壁の高さを決める要因の1つであるとされる。
 
これに対し[[ウィリアム・ボーモル]]は[[1982年]]に、逆に埋没費用がゼロならば、競争の潜在的可能性が高いために、たとえ[[独占]]であっても参入可能性が価格を正常に維持するという[[コンテスタビリティ理論]]を提示し、[[1980年代]]以後の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の航空輸送産業やトラック輸送産業における[[規制緩和]]の流れを作り出した。つまり、その市場がどれだけ競争的・寡占的であるか否かは、そこに実際に参加している企業の多寡によってだけでは判断できず、潜在的な新規参入の容易さによっても左右されることが重要であると主張した
 
== 例1:つまらない映画を見続けるべきか ==
2時間の映画のチケット(1800円)1800円で購入したとする。映画館に入場し、映画を見始めた。10分後に映画が余りにもつまらないことが判明した場合に、映画を見続けるべきか、それとも途中で映画館を退出して、残りの時間を有効に使うべきかが問題となる。
 
*映画を見続けた場合:チケット代1800円と2時間(上映時間の2時間を失う。
*映画を見るのを途中で止めた場合:チケット代1800円と10分間(退出までの上映時間の10分間は失うが、残った時間(1の1時間50分を有効に使うことができる。
 
この場合、チケット代1800円と10分間(退出つまらないと感じるまでの時間)10分が埋没費用である。この埋没費用は、'''上記のどちらの選択肢を選んだとしても回収できない費用'''である。したがって、時間を浪費してまで、つまらないと感じる映画を見続けることは経済学的に合理的な選択ではない。途中で退出して残りの時間を有効に使うことが経済学的に合理的な選択である。しかし、多くの人は「払った1800円がもったいない。元を取らなければ。」などと考え、つまらない映画を見続けることによって時間を浪費してしまいがちである。
 
== 例2:チケットを紛失した場合 ==
ある映画のチケット(1800円)1800円で購入したとする。このチケットを紛失してしまった場合に、再度チケットを購入してでも映画を見るべきか否かが問題となる。チケットを購入したということは、その映画を見ることが1800円の代金に値すると感じていたはずである。ならば、再度チケットを購入してでも映画を見ることが経済学的には合理的な選択である。紛失してしまったチケットの代金は前述の埋没費用に当たるものだから、二度目の選択においてはこれを判断材料に入れないことが合理的だからである<!--マンキュー「ミクロ経済学」による-->。しかし多くの人は「その映画に3600円分の価値があるか」という基準で考えてしまいがちである。
 
== よくある誤解 ==
埋没費用の理解に関して誤解をしがちである。例えば、先の映画の例1で、映画を見続けたところ、つまらなかったストーリーが終盤の[[どんでん返し]]によって素晴らしいものに転じたとしても、映画のチケット代1800円は埋没費用である。
 
'''ある費用が有用であるかどうかとその費用が埋没費用であるかどうかとは関係がない。'''
映画チケットのケースでは、映画を半分まで見た時点で、その映画がすばらしいものであるかつまらないものであるか、また後半にすばらしいものになるかそうでないかといった効用は、1800円が埋没費用であるかどうかとは全くの別問題である。たとえ素晴らしい映画を見た場合であっても、その費用が埋没費用であることに変わりはない。