「中野義時」の版間の差分

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父・義守は長男の義光を嫌い、義時を偏愛した。これが原因で家臣団が義光派と義時派に分かれ、義時は家督をめぐって兄・義光と不和になって対立する。これは[[最上氏]]内部の内乱にまで発展した。しかし父が義光の争いに敗れて強制的に隠居させられると不利になり、1574年に義光の攻撃を受けて殺された。
歴史的資料の中からは名前が見られないため、実際にいた人物ではないのではないかと言われている。
 
[[category:最上氏|なかのよしとき]]