「牧野の戦い」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
 
== 牧野の戦い ==
数年後、発はまたしても軍を発して殷を攻めた。この際には様々な瑞兆があったと言われている。周軍は[[孟津県|孟津]]という港から[[黄河]]を渡ろうとしたが、雷雨と暴風に邪魔されて河を渡ることが出来なかった。発は怒り、河の神に向かって「天命はすでに下ったのだ。どうしてわたしの邪魔をするのか」と大喝すると嵐はやみ、周軍は河を渡ることが出来た。また、河を渡る船の中に白魚が飛び込んできた。白魚は殷のシンボルである。
 
周軍と殷軍は殷の首都・[[朝歌]]に近い牧野というところで決戦することになった。『史記』周[[本紀]]によれば今回は殷の準備も万全で70万という大軍を動員した。対する周軍は諸侯の軍を加えても40万である。決戦の前はまたしても雷雨がとまらなかったが、発は殷の[[湯王]]が[[夏 (三代)|夏]]の[[桀|桀王]]を破って王朝をひらいた{{仮リンク|鳴条の戦い|zh|鸣条之战}}においても雷雨がとまらなかったといわれていることから、むしろこれは周が勝って王朝をひらくという前触れであると言って全軍を勇気付けた。
匿名利用者