削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
44行目:
[[1850年代]]に黄河は再び北に流れを変えたが、淮河は黄河旧河道の堆積土砂による自然堤防のために元の流れに戻ることができず南に流れるままになり、安徽省・江蘇省境界付近でしばしば氾濫を繰り返した。[[1950年代]]以降、[[中華人民共和国]]によって淮河水系の上流でダム建設や植林、下流で排水路整備が進められた。特に江蘇省北部に設けられた放水路・蘇北灌漑総渠は、淮河旧河道に沿うかたちで淮河の水を洪沢湖から黄海へ流している。一方で、治水のため各支流に作られたダムのうち、汝河に建設された[[板橋ダム]]は[[1975年]]に大雨で決壊し、下流のダムも押し流して大洪水を引き起こした。
 
== 深刻な水質汚染と高い発がん率 ==
淮河はここ40年ほど[[水質汚染]]が深刻である<ref name="hs">[[報道ステーション SUNDAY]]、 2013年9月29日放送</ref>。淮河の河岸には数十センチの高さにピンク色の異様な泡が打ち寄せられて異臭を放っている場所が多々ある<ref name="hs">[[報道ステーション SUNDAY]]、 2013年9月29日放送</ref>。淮河はここ40年ほど[[水質汚染]]が深刻で、流域の村で住民の[[がん]]発症率(発がん率)が異常に高く流域住民らが苦しめられていることを、[[ロイター通信]]のジャーナリストなどが告発し、国際的に問題になった<ref name="hs" />。国際的批判が高まったことで中国政府も重い腰を上げざるを得なくなり、2005年になって調査を命じ、研究者などが現地で調査を行うことになった<ref name="hs" />。
調査の結果、2013年、中国政府は、淮河の汚染の高いエリアと発がん率の高いエリアが一致していることを認める発表をした。流域の村では、住民が次々と様々な癌でバタバタと死んでゆく村、中国で癌村(がんむら)などと呼ばれている村、住民たちが高い確率で癌を発症する村がある<ref name="hs" />。調査の結果、直腸癌などの発症率の悪化の程度が、中国の他の村に比べて5倍、という村もあることが判明した<ref name="hs" />。
 
汚染の主なメカニズムとしては、淮河流域の化学工場などが淮河に[[汚染物質]]をたれ流しにした結果、淮河の水が化学物質で汚染され、それが地下経由で[[井戸]]に流入、中国では田舎の住民は飲料水を一般に井戸で得ているので、汚染されたその水を飲むことになり、がんを発症することになった、というメカニズムになっている<ref name="hs" />。
 
対策として、中国政府は水質を改善するための浄水設備付きの水場を設け始めたが、広大な流域にまだ二十数か所ほどしか設置されておらず(2013年時点)、広大な流域に対して全然足りていない状況で、流域の住民の大多数は依然として発がんの危険にさらされ続けている<ref name="hs" />。
 
== 支流 ==