「原田宗時」の版間の差分

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天正19年[[1591年]]伊達家が奥州再仕置きによって米沢を召し上げられ、岩出山に移封となると、宗時も[[原田城]]から離れ政宗に従った。
 
文禄元年[[1592年]]、秀吉より[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]を命ぜられ、政宗に従って渡海する。だが翌年の文禄2年([[1593年]])[[釜山]]にて風土病を患ってしまう。御暇を賜い帰船したが病が益々重くなり釜山浦近くの島に滞留して[[対馬国]]まで戻ったが、そこでついに病死した。あるいは釜山浦で死去したという。享年29。
 
政宗は原田宗時のあまりにも早すぎる訃報を知り、御嘆きのあまり、彌陀の名号を御句の上に置いた『国風六首』を詠じた。