「修正主義」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
7行目:
== 概要 ==
{{see also|マルクス主義#修正主義(ベルンシュタイン主義)と教条主義(カウツキー主義)|社会改良主義}}
修正主義は1895年、[[ドイツ社会民主党]]のシェーンランクが初めて唱えた。続いて[[エドゥアルト・ベルンシュタイン]]は1896年から1898年まで『Neue Zeit』(ノイエ・ツァイト)紙に連載した論文を『社会主義の諸前提と[[社会民主主義]]の諸課題』(1899年)にまとめ、修正主義を系統づけた。その特徴として、[[暴力革命]]
上述の通り、修正主義は社会民主主義につながるものであるため、[[マルクス・レーニン主義]]者など、共産主義国家の間においては[[侮蔑|蔑称]]として、[[レッテル]]貼りの言葉として用いられてきた。例えば、[[中華人民共和国|中国]]は1960年代前半、[[平和共存]]と呼ばれる米ソ緊張緩和などを実行した[[ソビエト連邦|ソ連]]を修正主義的であるとして非難した(一方のソ連は中国のそのような姿勢を「[[教条主義]]」として非難した)。また、[[計画経済]]の失敗から、柔軟な[[調整政策]]と呼ばれる[[経済政策]]を実行した[[劉少奇]]、[[トウ小平|鄧小平]]らが1960年代になって権力を奪われた時も、「修正主義的であること」が罪状とされた。
|