「スイス傭兵」の版間の差分

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14世紀にスイス原初同盟が[[ハプスブルク家]]を破り独立を果たすと、スイス歩兵の精強さがヨーロッパで認められるようになった。そして[[1470年代]]におこった[[ブルゴーニュ戦争]]ではスイス傭兵は主力として活躍し[[シャルル (ブルゴーニュ公)|シャルル突進公]]を破ったことから、その評価は決定的になった。その後、スイスは[[北イタリア]]において独自の[[覇権]]を目指すが、1515年に{{仮リンク|マリニャーノの戦い|en|Battle of Marignano}}でフランスに敗れると、拡張政策を放棄し[[傭兵輸出]]に専念するようになった。スイス傭兵は州政府単位で雇用主と契約にあたることに特徴がある。
 
国土の大半が山地で農作物があまりとれずめぼしい産業が無かったスイスにおいて、傭兵稼業は重要な産業となった。また傭兵稼業によってスイスは強大な軍事力を保有する事となり、隣接する他国にとっては、侵略が極めて困難であり、侵略してもそれに見合った利益が得られない国と看做されるようになり、スイスの安全保障に貢献し、「血の輸出」と呼ばれた。
 
[[1874年]]にスイス憲法が改正され傭兵の輸出を禁じるようになり、[[1927年]]には自国民の外国軍への参加を禁止したため、スイスの傭兵輸出産業は完全に終了することになったが、中世からの伝統をもつバチカン市国のスイス衛兵のみは、「[[ローマ法王]]のための[[警察]]任務」との解釈により、唯一の例外として認められている。
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