「ジョン・マッカーシー」の版間の差分

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[[1961年]]、マッカーシーは MIT の100周年記念式典でのスピーチで、[[タイムシェアリングシステム]]の技術によって([[水道]]や[[電力]]のように)コンピュータの能力や特定のアプリケーションを販売するビジネスモデルを生み出すかもしれないと述べた。このいわゆる「コンピュータユーティリティ」という考え方は1960年代後半には非常に人気となったが、当時のハードウェアもソフトウェアも通信技術も未熟であったために1970年代中ごろには消えていった。しかし、21世紀になるとこの考え方は[[アプリケーションサービスプロバイダ]]にはじまり、[[グリッド・コンピューティング]]を経て[[クラウドコンピューティング]]へと昇華し再浮上してきている。同僚のレスター・アーネストは[[ロサンゼルス・タイムズ]]紙で「ジョンがタイムシェアリングシステムを開発しなければ、インターネットの発展はもっと遅れていただろう。タイムシェアリングは様々な呼称で呼ばれてきた。サーバと呼ばれるようになり、今ではクラウドコンピューティングと呼ばれているが、それらはジョンが始めたタイムシェアリングそのものだ」と述べている<ref name="LATObit" />。
 
マッカーシーの指導で[[アラン・コトック]]が開発した[[チェス]]プログラム<ref>{{Cite web |url= http://dspace.mit.edu/handle/1721.1/17406 |title=A chess playing program for the IBM 7090 computer |publisher=DSpace@MIT |accessdate=2012-08-11}}</ref>は1966年、[[ソビエト連邦]]が開発したチェスプログラムと史上初のコンピュータ同士で対戦した。結果はマッカーシー側の2敗2分だった。
 
[[1969年]]には、パトリック・ヘイズと共に人工知能の分野で常に議論の対象となる[[フレーム問題]]を提唱する。
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