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Poohpooh817 (会話 | 投稿記録)
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'''国庫'''(こっこ)とは、
'''国庫'''(こっこ)とは、[[国家]]を[[財産権]]の[[主体]]としてとらえた場合の呼称。[[国]]に属する[[現金]]や[[有価証券]]等を経理する[[制度]]、[[組織 (社会科学)|組織]]を'''国庫制度'''(こっこせいど)、国庫に属する現金を'''国庫金'''(こっこきん)と称する。狭義には現金出納としての国庫金をさすが一般には有価証券、物品や国有地などの国有財産を含める。また国が法令または契約に基づき、一般私人等から提出されて一時保管している現金(保管金、供託金)や、公庫から国庫に預託された業務上の現金は国庫金に含める。
#(独 Fiskus)ドイツ法や日本法において、[[国家]]を[[財産権]]の[[主体]]としてとらえた場合の呼称。
#'''国庫制度'''(こっこせいど)(国に属する現金や有価証券等を経理する制度、組織)のこと。
 
===貯蔵庫財産権の主体としての国庫===
==国庫の史的概要==
'''国庫'''(こっこ)は、財産権の主体として国家を表すときに用いられる語である。
 
==歴史的背景==
===貯蔵庫としての国庫===
紀元前3000年には寺院に貯蔵を目的とした倉庫が作られ始めたと考えられており、紀元前18世紀の[[ハンムラビ法典]]には政府による貸付規定が見られる。古代ギリシアでは[[デロス同盟]]の資金を[[デロス島]]に貯蔵していた。古代ローマは[[ヴァレリスス]]により国庫を[[サトゥルヌス神殿]]に置く事を決め、その管理のために財務官([[クァエストル]])を設置した。[[前漢]]は国庫の運用として専売制を導入し、また物価安定と国庫運用のための均輸・平準法を採用した。インドでは最初の統一王朝[[マウリア朝]]の兵士がすでに国庫からの俸給により運用されていた。イスラムでは最初の王朝[[ウマイヤ朝]]第8代カリフのウマル・イブン=アブドゥルアズィーズ(ウマル2世)がウマイヤ家の者が国庫から贈られた土地を返還させている。時代が下り[[オスマン帝国|オスマン朝]]の初期には[[トプカプ宮殿]]のドームの間に国庫が設置された。
 
[[法治国家|近代法治国家思想]]においては、[[法治国家]]の至る前段階として、[[夜警国家|警察国家]]を位置づけられ[[警察国家とは、]]([[絶対君主制]]国家の[[内政]]面を指す概念警察国家で)においては、[[君主]]ないし公権力の主体としての国家は法的拘束を受けず、人民は法的救済を認められないとされた(国家無問責の原則)。そこで、[[ドイツ]]の国庫理論(Fiskustheorie)におい、法の規制を受けない[[公権力]]の主体としての国家と対比して、[[私法]]の適用を受ける財産権の主体としての国家を特に国庫(Fiskus<ref>ラテン語のfiscus(国庫、皇帝財庫)をドイツ語化したもの。</ref>)と呼んだ。「公権力の主体としての国家」も「財産権の主体としての国家」も、国家という一つの[[法人|人格]]の両側面に過ぎず、国庫それ自体が独立の法人格を有するわけではない。国庫は、公権力の主体としての国家とは異なり、民事訴訟において被告として(他とば契約に基づく債務の不履行を理由として)訴えることが可能であった
===税制と国庫===
⇒[[租税#税金の歴史]]を参照
 
==現在==
===検察権と国庫===
13世紀のフランスでは国王(国庫)の利益を擁護するために国王の代官(Procureur de roi)が設置され、罰金や財産没収の執行に当たった。国王権力の強大化にともない国家や社会の公益の擁護に任ずるようになり、16世紀には裁判所に附置され人民から告訴・告発を受けて犯罪捜査を行い、公益の代表者として民事訴訟に立会い、司法行政の事務を監督する権限を有するようになった[http://www.kensatsu.go.jp/kensatsu_seido/index.htm]。
 
現在の法治国家においては、公権力の主体としての国家もまた法の下にあるため、両者の区別は本来的な意義を失っている。
ブランデンブルク・プロイセンでは15世紀に(記録への登場は1468年)選帝侯室裁判所に「国庫の代表者(Fiskal procurator)」がいた。彼は選帝侯の国庫上の利益(財政上の利益)に留意し高権が遵守されるようにし、特権収入の侵犯があればこれに介入してランデスヘルの封主権を代表する任務を与えられていた。
 
現在の日本においては、今でも法令において財産権の主体としての国家を指すものとして国庫の語が用いられる例は多い([[日本国憲法|憲法]]49条、[[民法 (日本)|民法]]239条2項など)が、端的に「国」の語を用いることも多い(憲法17条、会計法34条2項など)。
彼らは租税が正しく入金するように配慮しなければならず、しかも最も重要な国家的収入となっていたのが裁判所、とくに刑事裁判所の収入であって国庫の代表者はこれらが未収にならないよう配慮しなければならなかった。国王の裁判所が領主の裁判所に先を越される事の無いようにすることが大切であるとされた。これは一般原則があって、事件は最初に係属したところで審判されることになっていたからである。<ref>内田一郎「ドイツ検察 制度の成立」早稲田法学三九巻二号(一九六三年)</ref>
 
===国家賠償と国庫===
[[国家賠償法#制定の背景|国家賠償]]の観点からは、1800年代の後半にフランスでコンセユ・デタ(行政裁判所)の判例によって公役務過失ないし危険責任の理論により、国家の賠償責任を肯定するようになる。1910年には、ドイツで官吏責任法が制定され国の代位責任が肯定されるようになった。1946年にはアメリカで連邦不法行為請求権法が制定され従来の主権免責が改正されたが、今日でも一部の州ではなお国家無問責の原則が維持されている{{要出典|date=2007年7月}}。イギリスでは1947年に国王訴訟手続き法が制定され、主権免責原則を放棄した。<ref>国家賠償法その1甲斐素直[http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ls-jinken/19kokka-baisyo.htm]</ref>
 
===国債と国庫===
[[国債]]の観点からは、[[君主]]が発行する公債と国家の公的債務が17世紀[[オランダ]]で区別されるようになり、いわゆる国富のうちで現実に近代的国民の全体的所有にはいる唯一の部分としての国債<ref>酒井昌美「物象化生成過程的資本原蓄とアムステルダム」帝京経済学研究第35巻第 1号</ref>が成立した。
 
それ以前、中世イタリアの[[ジェノバ共和国]]の議会は借金の元利支払のための税収を、投資家の組成するシンジケート(Compera)に預けた。1164年には11人の投資家によって11年を期間としたシンジケートが設定されていた。[[ヴェネツィア共和国]]の議会は1262年、既存の債務を一つの基金に整理し、債務支払いのために特定の物品税を担保に年5%の金利を支払う事を宣言したが、これは出資証券の形態を取り登記簿の所有名義を書き換える事で出資証券の売買が可能なものであった。中世イタリアの都市国家ではそれぞれの都市の基金が債務支払の担保にあてられた税を管理した。
 
北部ヨーロッパの領邦・諸都市では、11世紀末からの十字軍遠征の際に国王や貴族が土地を抵当に資金調達をおこなったが、債務弁済が滞り抵当権を得ようとする際に紛争が生じやすかったため、関税や物品税を担保にいれる年金型債券が発行された。[[ドゥエー]]や[[カレー]]が1260年に最初の年金型債券を発行した。15世紀の[[ネーデルランド]]諸都市ではこれら公債の売買のための銀行が設立された。
 
16世紀にネーデルランドは、神聖ローマ皇帝に代わり債券発行を代替し、その代わりに課税権や歳出権限を獲得していった。1522年にカール5世の摂政はネーデルランド連邦の属州議会に徴税権を委譲し、皇帝の保証によってではなく委譲された徴税権を担保に議会が債券を発行するよう説得した。1542年に[[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|ハプスブルク皇帝]]は新税の導入も含めた徴税権とともに、歳出についての完全な裁量権を担保に債券発行を求めた。1585年に[[アントウェルペン]]と[[リヨン]]がスペイン軍に攻め落とされたため商慣行は[[アムステルダム]]に引き継がれたが、18世紀にはオランダ東西インド会社の株式と社債や、連邦政府債、各州の公債に加え1719年にはイギリスはじめ諸外国の債券と株式が上場された。1747年には国内の株式と債券で28銘柄、外債16銘柄、1783年には国内80銘柄、外債100銘柄に及んだ。<ref>富田俊基「国債の歴史」東洋経済新報社ISBN:4492620621</ref>
 
===近代思想と国庫===
[[法治国家|近代法治国家思想]]においては、[[法治国家]]の前段階として、[[夜警国家|警察国家]]を位置づける。警察国家とは、[[絶対君主制]]国家の内政面を指す。警察国家では、[[君主]]は法的拘束を受けず、人民は法的救済を認められないとされた(国家無問責の原則)。そして、法の規制を受けない[[公権力]]の主体としての国家と対比して、[[私法]]の適用を受ける財産権の主体としての国家を特に国庫と呼んだ。「公権力の主体としての国家」も「財産権の主体としての国家」も、国家という一つの[[人格]]の両側面に過ぎない。
 
もっとも、現在も[[法令]]に国庫の語が用いられる例は多い([[日本国憲法第49条|憲法49条]])。これは、便宜上、財産権の主体としての国家を呼ぶために用いられるものであって、端的に「国」の語を用いることも多い([[日本国憲法第17条|憲法17条]]、[[会計法]]34条2項など)。
 
==国庫制度==
'''国庫制度'''(こっこせいど)は、国に属する現金や有価証券等を経理する制度、組織のことである。<!--国庫制度、国庫金制度ともいう。-->また、国庫に属する現金を国庫金と称する。
 
===国庫制度の態様===
国庫制度のかたちは、経済社会や行政・財政制度などの歴史的経過に応じて、国ごとに異なっているが、'''金庫制度'''('''金庫制''')と'''預金制度'''('''預金制''')に大別できる。狭義には現金出納としての国庫金をさすが一般には有価証券、物品や国有地などの国有財産を含める。また国が法令または契約に基づき、一般私人等から提出されて一時保管している現金(保管金、供託金)や、公庫から国庫に預託された業務上の現金は国庫金に含める。
 
金庫制度(金庫制)とは、国庫金を他の資金とはまったく切り離して管理する国庫制度をいう。金庫制度には、国が直接出納業務を行う'''国有金庫制度'''('''固有金庫制''')と、[[中央銀行]]などの特定の[[金融機関]]に出納業務を委託する'''委託金庫制度'''('''委託金庫制''')とがある。
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