「樽前山」の版間の差分

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[[画像:Mt.tarumaezan.JPG|thumb|300px|白老町から冬の樽前山を望む]]
 
'''樽前山'''(たるまえさん、たるまえざん)は、[[北海道]]南西部にあり、[[支笏湖]]の南、[[苫小牧市]]と[[千歳市]]にまたがる[[活火山]]。標高は最高点の樽前ドームで1,041m、[[三角点|一等三角点]](点名「樽前」)の東山で1,022m、[[三角点|三等三角点]](点名「樽前山」)の西山で994m。[[支笏洞爺国立公園]]に属する。[[風不死岳]]、[[恵庭岳]]とともに支笏三山の一つに数えられる。
 
== 山名の由来 ==
山名の由来は、アイヌ語で「タオロマイ taor-oma-i」(川岸の高いところ・(そこに)ある・もの)。一般的にアイヌは山に山そのものを指す名前を付けず「これこれという川の上流(水源)の山」という名づけ方をすることが多いので、この言葉は現在の樽前山そのものを指すのではなく、樽前山の南側を下る現在の樽前川を指した言葉である可能性が高く、その水源として樽前山という名になったと思われる。樽前山そのものを指したアイヌ語の名称としては「ヲフイノボリ」が[[1807年]](文化4年)の[[秦檍丸]]による東蝦夷地屏風にあり(<ref>渡辺 (2002)</ref>、増補千歳市史 (1983) ではこれをオフィヌプリ ohuy-nupuri(nupuri(燃える・山)と解釈している(ウフィヌプリ uhuy-nupuri の方が同じ意味で一般的な表現)。「たるまいさん」、「たるまいざん」とも言う。
 
== 火山活動 ==
[[Fileファイル:Tarumae1909.jpg|thumb|left|1909年の噴火]]
 
この火山は4万年前に大爆発を起こした支笏[[カルデラ]]の南縁部に約9000年前に形成された後カルデラ火山である。後述する[[溶岩ドーム]]を持った、世界的に珍しい'''三重式火山'''である。有史以前にも数度大爆発を起こし、道央では[[鍵層]]となる[[軽石]][[噴火]]を起こしている。[[江戸時代]]から[[明治時代]]には活発に活動しており[[1667年]]([[寛文]]7年)、[[1739年]]([[元文]]4年)、[[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年)、[[1874年]]([[明治]]7年)、[[1909年]](明治42年)に噴火を起こし軽石を周囲に降らせている。このため苫小牧市など周辺は至るところに軽石の散らばった火山灰の地層に覆われている。俗に70年周期説も唱えられたが、近年では[[1981年]]([[昭和]]56年)に小噴火が見られた程度で、現在は日常的に白い噴煙を上げ続けているのみである。北麓には同じ後カルデラ火山の[[風不死岳]]がある。
 
[[画像ファイル:樽前山火口原.JPG|thumb|300px|三重式火山の火口原 西山より]]
 
=== 樽前ドーム ===
[[1909年]](明治42年)の噴火で、山頂には溶岩ドームができた。'''樽前山熔岩円頂丘'''として、[[北海道指定文化財一覧|北海道指定文化財]]の[[天然記念物]]に指定されている。この溶岩ドームは比較的大きい上に、山体とは異なった色(黒色)をしているために目立ち、樽前山を特徴づけている。樽前山は南から東にかけて高山と隣接していないので、これらの方向からは遠くから見てもこの山が樽前山であることを容易に判別できる。つまりこの溶岩ドームが樽前山を[[ランドマーク]]としやすい山にしているのである。
 
[[画像ファイル:樽前ドーム.JPG|thumb|300px|樽前ドーム(熔岩円頂丘) ]]
 
=== 噴火の影響 ===
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なお、[[2001年]]([[平成]]13年)には、火山活動がやや活発になり立ち入り禁止区域が設定された。現在([[2007年]]([[平成]]19年)6月)も外輪山の内側へは立ち入りが禁止されている。
<!--ガイドブック的な解説はWikipediaの方針に反する→ 登山に当たっては火山情報などを確認し、立ち入り禁止のエリアには注意されたい。-->
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==