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== 一般論 ==
人間はほとんど無知の状態で生まれ、次第に知識を得て一人前になると考えられる。したがって無知は一般的にはよくないことと考えられ、「無知である」という指摘は非難の意味を含む。
 
== 無知と純粋さ ==
[[旧約聖書]]の[[創世記]]において[[エデンの園]]を追われる以前の[[アダム]]と[[イヴ]]がそうであった様に、無知は必ずしも悪徳とはされない。無知とはある意味では純粋さの象徴であり、蛇の言葉に従って知恵の実を口にしたアダムとイヴは神の言い付けに背くとともに楽園の住人の資格である純粋さを失ったのである。[[ギリシア神話]]で[[プロメーテウス]]が人間に火を与えたが為ためにその身を苛まれることとなったのは、一方から見れば無知が美徳ですらあるためである。
 
近代においてもヨーロッパと非ヨーロッパの接触が生まれたころの「[[高貴な野蛮人]]」といったモチーフにこの考え方を見ることができる。植民地化が本格化する以前、ヨーロッパの知識人たちは自分たちの「文明」を非ヨーロッパの「野蛮」と対比させ、そこに自分たちが失ってしまったある種の純粋さを見いだしていた。
 
また、無知であることは[[先入観]]や[[偏見]]から自由であることをも意味する。[[子供]]は[[大人]]に比べて無知であるから、そのようなものに縛られなくてすむ。たとえば「[[裸の王様]]」が裸であることは誰の目にも明らかだったが、予備知識を与えられていた大人にはそれがえず、子供の発言を待たねばならなかった。
 
科学の分野でも、古い学説を知っているとそれに縛られて目の前の現象をも見落とす例がある。[[ファーブル]]は[[昆虫記]]でそのような例にいくつもふれている。その一方で[[カイコ]]の病気を研究にきて、基礎知識を彼のところに求めてやってきた[[ルイ・パスツール]]について、あまりの無知に驚くとともに、そうであるからこそ新しい挑戦ができるのだと褒めたたえている。
 
== 無知の知 ==
他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界のすべてを知ること出来できない。[[ギリシア]]の哲学者[[ソクラテス]]は当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。
 
なお、[[論語]]にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。