「マチルダI歩兵戦車」の版間の差分

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'''歩兵戦車 Mk.I マチルダI'''(ほへいせんしゃ-、A11)は、戦間期[[イギリス]]で開発された初の[[歩兵戦車]]。[[1935年]]に開発開始
 
== 概要 ==
[[1934年]]、小型・重装甲で敵の[[対戦車砲]]に耐える歩兵支援戦車として設計要求が出され、[[1935年]]に開発が開始された。[[ヴィッカース]]社では、[[カーデン・ロイド豆戦車]]の開発で有名なジョン・カーデンが設計にあたった。低コストで必要量を揃えられることが求められたため、コンポーネントは極力既存のものが流用された。
 
ジョン・カーデンの初期のスケッチによれば、[[サスペンション]]はヴィッカース軽戦車や[[ユニバーサル・キャリア]]と同じものが片側4組使われていたが、試作車製作にあたっては[[ヴィッカース 6トン戦車‎|6t戦車]]系の[[ヴィッカース・ドラゴン|中ドラゴンMk.IV]]からのものに変更された。[[エンジン]]と[[トランスミッション]]は市販されている[[フォード・モーター‎|フォード]]製のものが使われた。ジョン・カーデンは1935年10月に飛行機事故で死亡するが、翌年試作車は完成し、テストの結果若干の改設計を経て、[[1937年]]4月に最初の発注がなされ、[[1940年]]8月までに140両程度生産された。
 
設計思想は[[第一次世界大戦]]時のままであり、「動く機銃座」として歩兵直接支援用に開発された。以後の[[マチルダII歩兵戦車]]などに比べ、非常に小型軽量で、重量11t・乗員2名・最大速度13km/h、[[機関銃]]1丁のみの搭載で、武装だけを見れば[[豆戦車]]に近い。既存コンポーネントの流用でコストを抑えたとはいえ、機銃1丁を運搬するには不経済であるとの批判も当初からあり、量産開始前に、より大型の歩兵戦車A12(A12(後の[[マチルダII歩兵戦車|マチルダ II]] )の設計が開始されている。
 
[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|西方電撃戦]]等で[[ドイツ軍]]と戦闘を交えたときも対戦車砲によく耐えたが、武装が重機関銃1挺ではどうにもならず、敵[[陣地]]への攻撃はもっぱら履帯([[無限軌道]])で蹂躙することに頼る有様であった。ギリギリまで切り詰められ、発展の余地がまったく無かったこともあり、本車はすぐに第一線を退いている。