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Poohpooh817 (会話 | 投稿記録)
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[[法治国家]]に至る前段階として位置づけられる[[警察国家]]([[絶対君主制]]国家の[[内政]]面を指す概念。)においては、国家は原則として法の規制を受けず、したがって裁判権にも服しないため、人民は国家に対しては[[国家賠償]]その他の法的救済を求めることができなかった(国家無問責の原則)。そこで、[[ドイツ]]法の国庫理論(Fiskustheorie)においては、このように法の規制を受けない公権力の主体としての国家と対比して、私人と同じ立場で[[私法]]の適用を受ける財産権の主体(ないし経済活動の主体)としての国家を、特に'''国庫'''(Fiskus:ラテン語のfiscusをドイツ語化したもの。)と呼んだ<ref>「公権力の主体としての国家」も「財産権の主体としての国家」も、国家という一つの[[法人|人格]]の両側面に過ぎず、国庫それ自体が独立の法人格を有するわけではない。</ref>。国庫は、公権力の主体としての国家とは異なり、一般私人と同様に民事裁判所の裁判権に服するため、民事訴訟において被告として(例えば契約に基づく債務の不履行を理由として)訴えることが可能であった。
 
19世紀の法治国家においても、ドイツの司法裁判所は国庫理論による私法上の法的救済を模索した。その背景には、各ラントの[[行政訴訟|行政裁判]]<ref>司法裁判所ではなく[[行政裁判所]]の管轄に属する裁判事件制度のこと。</ref>における列記主義(すなわち、行政裁判による救済の対象が特定の事項に限定されていたこと)にあったと指摘されている<ref>秋山義昭「西ドイツ行政裁判所法に於ける一般概括主義と行政裁判所の管轄権(1)」北大法学論集18巻3号173頁及びその引用文献</ref>。
 
ドイツ法の国庫理論は日本にも影響を与え、Fiskusには「国庫」との訳語が与えられて、法令においても用いられるようになった。