「覚山尼」の版間の差分

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[[弘安]]7年([[1284年]])4月、病床にあった時宗は[[無学祖元]]を導師として禅興寺<ref>
[[明月院]]はその禅興寺の塔頭であった。なお禅興寺は時宗の父時頼が別業(公邸に対する私邸)内に建てた持仏堂を前身として文永5(1268)年に[[蘭渓道隆]](大覚禅師)を開山として開いて寺である。このときの禅興寺は時宗の別業のある谷戸の奥であり、事実上時宗私邸内とも云える。[[明月院]]は元はその禅興寺の塔頭であり、禅興寺跡は現在明月院の敷地内である。
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で落髪(出家)たとき、共に落髪付衣し、覚山志道大姉と安名した<ref>