「レーガノミクス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
3行目:
'''レーガノミクス'''({{lang-en-short|Reaganomics}})とは、[[アメリカ大統領]](任 {{年|1981}}–{{年|1989}})[[ロナルド・レーガン]]がとった一連の[[自由主義]][[経済政策]]である。
 
前民主党政権の政策が企業の活動を阻害し労働者の勤労意欲を奪ったとの主張から、市場原理と民間活力を重視し、[[社会保障]]費と[[事]]費の張する一方、歳政府支削減とを拡大させ<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function">[http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/omb/budget/fy2014/assets/hist.pdf White House>Office of Management and Budget>Historical Tables>Fiscal year 2014 Budget of the u.S. government>143 - 144Page>Section3 Federal Goverment Outlay by Function]</ref>、同時に減税を行って刺激政策をとっ採用し、経済規模時は拡大したが、結果的には貿易赤宇治と対外債務と財政赤字の増大という「ふたごの赤字」を抱えることになった。
 
==概要==
レーガン大統領の一期目は前政権から受け継いだ[[スタグフレーション]]状態の[[経済]]の回復が課題であった。政権は[[インフレーション|インフレ]]と[[失業]]に注目した。レーガンの[[経済政策]]は減税による供給面からの経済刺激を主張する[[サプライサイド経済学]]に基づいている。また[[スタグフレーション]]の物価上昇という弊害を抑えるために「通貨高政策」を前提条件にしていた。経済学者の多くは、減税を経済の需要面から刺激する政策と考えるが、サプライサイド経済理論支持者は、供給面においてはるかに大きな効果があると主張した。[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]は当初、副大統領就任前にこの経済政策を「呪術経済政策(ブードゥー・エコノミー)」と呼び揶揄したが、すぐにレーガノミクスとして知られるようになった。急激な社会保障支出と軍事支出の増加と並行して行われた減税は、巨額の財政赤字と累積債務の劇的な増加をもたらし、政府結果、米国の負累積レーガン大統領の就任時と比較して、後任のジョージ・H・W・ブッシュ大統領の就任時にはレーガン就任時と比較しておよそ200%増加していた。レーガンの支持者、金額で909,041Millions$から2,601,104Millions$へ2.6倍大統領が年間予算案を提出するが実際にGDP比で支出法案承認は下院でされることを論拠33.4%から51.9%、レーガンの政策が負債増加の排他的な原因ではないとするした<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-federal-debt">[http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/omb/budget/fy2014/assets/hist.pdf White House>Office of Management and Budget>Historical Tables>Fiscal year 2014 Budget of the u.S. government>50 - 80Page>Section5 Federal Debt]</ref>
 
==展開と==
一方でこの財政赤字は税収増大によってわずかに相殺された。支持者の中にはサプライサイド経済学の租税政策の成功がこの要因であると考える者がいる。
レーガノミクスの主軸は、社会保障費と軍事費の拡大で政府支出を拡大、減税、規制緩和、インフレ収束であった<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function" />。
 
#社会保障支出と軍事支出の拡大により、経済を発展させ、強いアメリカを復活させる<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function" />。
より小さく出しゃばらない政府([[小さな政府]])を目指すという彼の頻繁な宣言とは裏腹に[[スターウォーズ計画]]など巨額の財政支出の増大が進み(経常赤字と合わせ[[双子の赤字]]と呼ばれる)、また官僚政治の肥大化が彼の政権の間に進んだという指摘もある。
#減税により、労働意欲の向上と貯蓄の増加を促し投資を促進する<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function" />
 
==展開と帰結==
レーガノミクスの主軸は、減税、歳出配分転換、規制緩和とインフレ退治であった。
 
#減税により、労働意欲の向上と貯蓄の増加を促し投資を促進する。
#福祉予算などの非国防支出の歳出削減により、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカを復活させる。
#規制を緩和し投資を促進する。
#金融政策によりマネーサプライの伸びを抑制して「通貨高」を誘導してインフレ率を低下させる。
22 ⟶ 18行目:
この政策群の理想的展開は、「富裕層の減税による貯蓄の増加と労働意欲の向上、企業減税と規制緩和により投資が促され供給力が向上する。経済成長の回復で歳入が増加し税率低下による歳入低下を補い歳入を増加させると共に、福祉予算を抑制して歳出を削減する。インフレーションは金融政策により抑制されるので歳出への制約は低下する。結果、歳出配分を軍事支出に転換し強いアメリカが復活する。」というものである。
 
実際の展開は想定とはかなり異なった。[[1970年代]]末からすでに金融政策はインフレ退治に乗り出しており、政権発足時にはかなり高金利になっていた。そこに、減税社会保障支出軍事支拡大<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function" />と減税をセットにした大型の財政政策が発動されることになったため、高金利はいっそう拍車がかかった。この高金利は民間投資を停滞させると同時に[[日本]]などの外国資金のアメリカへの流入を促進し、その為替レートをドル高に導いた。ドル高は、輸出減退と輸入増大をもたらし、インフレ率の低下へつながった。財政赤字の増大はこのようにして民間投資の犠牲減少と経常赤字によってバランスされインフレーションへはつながらなかった。一方で経済成長失業率低迷1980年の7.1%から1982年には9.7%に増大たが、1988年には5.5%に減少し<ref>[http://data.bls.gov/timeseries/LNU04000000?years_option=all_years&periods_option=specific_periods&periods=Annual+Data United States>Department of Labor>Bureau of Labor Statistics>Timeseries>Unemployment rate]</ref>、失業者10001980年の827万人を越えて戦後最悪の経済状況となっから1983年には1071万人に増大しが1988年には670万人に減少した<ref name="us-dod-bufget-fyscal-year-2014-employmebt">[http://comptroller.defense.gov/defbudget/fy2014/FY14_Green_Book.pdf United States>Department of Defense>Budget>Fyscal Year 2014>269 - 271Page>U.S. EMPLOYMENT AND LABOR FORCE]</ref>
 
[[1982年]]中にはインフレ率の低下から高金利政策は解除段階に入った。[[1983年]]には景気回復が始まったが、それは減税社会保障支出軍事支拡大<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function" />と減税という財政政策を受けた消費の増大([[乗数効果]])が主因であった。なお、税率を引き下げていたためこの経済回復の最中でも歳入はそれほど増加せず、社会保障支出の拡大と[[戦略防衛構想|SDI]]に代表される軍事歳出拡大<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-outlay-by-function" />伴ってより財政赤字が拡大した。ドル高の持続と景気回復によりさらに経常赤字が拡大した。経常赤字が貯蓄投資バランスの不均衡を受け止めたため、また[[原油価格]]の大幅の下落という要因も加わり、インフレも顕在化することは無かった。なお、レーガン政権は「アメリカ経済は復活した」として、政策の効果を主張した。
 
[[1984年]]には失業率の低下や景況感の回復がさらに強まったが、経常赤字のますますの拡大は日欧に莫大な経常黒字をもたらし諸外国へインフレを輸出しているとの批判を浴びることになる。
30 ⟶ 26行目:
[[1985年]]秋に、[[プラザ合意]]が形成され、為替相場は一気にドル安となった。
 
連邦政府機関の雇用者は1980年の497万人から1988年には536万人に増大し、軍人以外の連邦政府機関の雇用者数は1980年の287万人から1988年には311万人に増大した<ref name="us-dod-bufget-fyscal-year-2014-employmebt" />。
以後の[[アメリカ経済]]は[[1990年代]]初めまで輸出増大により経常収支が修正される一方で、国内需要が低迷し財政赤字は記録的に悪化した。
 
[[1980年代]]のアメリカ経済は、年度の通貨額ベースのGDPは1980年の2,724billions$から1988年には5,008billions$へ1.84倍に増大した<ref name="us-gov-budget-historical-tables-fyscal-year-2014-Gross Domestic Product">[http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/omb/budget/fy2014/assets/hist.pdf White House>Office of Management and Budget>Historical Tables>Fiscal year 2014 Budget of the u.S. government>215 - 2164Page>Section10 Gross Domestic Product and Implict Outlays Deflators]</ref>。
[[1980年代]]を総括すると、民間投資の伸びは実質ベースで1970年代を大きく下回り、国内の生産力増大に寄与したとはいえなかった。
 
企業の投資資金は、高金利による株安から他の企業の買収合併へ向かい、株式ブームを生み出した。なお、株式ブームは[[1987年]]の[[ブラックマンデー]]により終了した。しかし、この株式ブームは[[FRB]]の裁量により深刻な恐慌をもたらさなかったが、このことがアメリカ経済のFRB・金融政策依存と資産経済化をもたらすことになった。
40 ⟶ 36行目:
 
[[疑似科学]]や、[[実証主義|実証性]]を欠く科学研究を指して'''ブードゥー科学'''と呼び慣わすことが多く、それと同様に根拠の疑わしさを揶揄する目的で[[ブードゥー教|ブードゥー]]という言葉を使ったと言える。しかしながら、ブードゥーの発祥する[[ハイチ]]は世界でも一、二を争う貧しい国であり、その歴史的経緯を辿るならば、この表現は皮肉めいた冗談としても[[倫理]]的に問題がないとは言えない。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
==関連項目 ==