「フッガーライ」の版間の差分

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フッガーライは当時ヨーロッパ有数の富豪であったフッガー家の人物で、富者ヤーコプこと[[ヤーコプ・フッガー]]によって建てられ、当初は「貧者の家」と称していた。ヤーコプは[[フッガーライ財団]]をつくって土地建物を寄付し、財団によってフッガーライは管理運営された。[[1514年]]から土地の購入と建設が始まり、[[1521年]]ごろには一応の完成をみた。財団の設立がこの年の[[8月23日]]なのでフッガーライもこの日に完成とすることが多いが、五月雨式に住宅の建設が進められていたので、はっきりした区切りはない。
 
入居対象者はアウクスブルク出身者か、そうでない場合でもアウクスブルクの何らかの共同体から身内として認められている人間で、敬虔な[[カトリック教会|カトリック]]であり、勤勉であるにもかかわらず貧しい、家族持ちか寡婦とされた。一般に貧しい職人もしくは日雇いの者が入居した。
 
フッガーライの家賃は1年に1[[グルデン|ライングルデン]]納めればよく、ほかには創設者のために祈りを捧げることが義務とされた。