「サンジェルマン大通り」の版間の差分

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[[17世紀]]には、サンジェルマン地区は貴族の邸宅(''hôtels particuliers'')が集まる場所となった。19世紀になってもその状態は続いていたが、その頃には古くからの貴族街として、セーヌ川右岸の新興ブルジョアジー地区であるサン・トノレ大通り([[サントノレ大通り|ブールヴァール・サン・トノレ]])や[[シャンゼリゼ通り]]と対比された(例えば[[オノレ・ド・バルザック]]の小説に描かれている)。
 
[[1930年代]]以降、ここは夜の繁華街やカフェ、学生街(この通りは[[カルチエ・ラタン]]を通る)となっていった。[[ドゥー・マゴ]]や[[カフェ・ド・フロール]]をはじめとする多くのカフェが集まり、サンジェルマン地区は[[実存主義]]のメッカとなった([[ジャン=ポール・サルトル|ジャン=ポール・サルトル]]や[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]にゆかりがあった)。第二次大戦後サンジェルマン大通りは、パリの知的・文化的地域となった。哲学者や作家、音楽家たちが通りに居並ぶナイトクラブや[[ブラッスリー]]に溢れていた。
 
現在のサンジェルマン大通りは[[ジョルジオ・アルマーニ]]から[[ソニア・リキエル]]までの店舗が並ぶ最高級商店街となっている。しかし知的・政治的な会合や夜会も、相変わらず無名のカフェで盛んに行われている。近くにはヨーロッパ有数の政治学教育機関である[[パリ政治学院]](略称"Science-Po")がある。