「バブ・エル・マンデブ海峡」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
RJANKA (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
[[Image:Bab el Mandeb NASA with description.jpg|thumb|衛星写真]]
'''バブ・エル・マンデブ海峡'''([[アラビア語]]:''مضيق باب المندب''、[[英語]]:''Strait of Bab el Mandeb'')は、[[アラビア半島]]南西部の[[イエメン]]と[[東アフリカ]]の[[エリトリア]]、[[ジブチ]]国境付近の[[海峡]]である。この海峡で、[[紅海]]と[[アデン湾]]を分けて、その先の[[アラビア海]]へと続いている。
 
海峡の幅は30kmほどしかなく、しかも東部には[[ペリム島]](イエメン領)、西部には[[サワビ諸島]](ジブチ領)があり、航路はさらに限られる。
 
名の由来はアラビア語の「涙の門(悲しみの門)」である。これは海峡の幅が狭くまた潮の流れが急で、しかも毎年11月から数ヶ月ほどは[[季節風]]が強く[[インド洋]]の方向から[[地中海]]の方へ向けて吹くため、地中海からインド洋へ航海する帆船にとっては海峡を通過するのが極めて困難だったことを表して「涙の門」と船乗りから呼ばれたものと伝えられる。また名前の由来にはもうひとつアラビアとアフリカを分断した大地震の伝説に由来するという説もある。
 
[[航海]]上の重要な海峡であり、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[イタリア]]が競って周囲を[[植民地]]にしていった。[[第四次中東戦争]]中は[[エジプト軍#エジプト海軍|エジプト海軍]]が[[駆逐艦]]2隻を同海峡に派遣し、(当時友好国同士であった)[[イラン]]から[[イスラエル]]向け[[石油]]の流通を[[海上封鎖]]した。