「秋元久朝」の版間の差分

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'''秋元 久朝'''(あきもと ひさとも)は、[[出羽国|出羽]][[山形藩]]の第3代藩主。[[館林藩]]秋元家9代。
 
寛政4年(1792年)閏2月23日、第2代藩主[[秋元永朝]]の五男として生まれる。兄の[[秋元修朝|修朝]]、[[秋元知朝|知朝]]が相次いで早世したため世継とされ、[[文化 (元号)|文化]]4年([[1807年]])、従五位下、左衛門佐に叙位・任官する。文化7年([[1810年]])、父の死により[[家督]]を継いだ。[[文政]]6年([[1823年]])、但馬守に遷任する。[[天保]]10年([[1839年]])4月13日、甥で養子の[[秋元志朝|志朝]]に[[家督]]を譲って[[隠居]]し、若狭守に遷任する。
 
弘化3年([[1846年]])に大膳亮に遷任し、剃髪して休翁と[[号 (称号)|号]]する。弘化4年(1847年)10月19日に死去した。享年56。
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