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{{Redirect|サヴォイア|イタリアの航空機製造会社サヴォイア・マルケッティ|SIAI-マルケッティ}}
[[ファイル:Savoie flag.svg|thumbnail|サヴォワの旗]]
'''サヴォワ'''([[フランス語]]:Savoie<small>(サヴ
==由来==
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==地理==
[[ファイル:Haute-Savoie departement locator map.svg|thumb|200px|[[オート=サヴォワ県]]]][[ファイル:Relief Savoie.GIF|thumb|
サヴォワは北を[[レマン湖]]、東から南を[[アルプス山脈]]、南東部をシャルトルーズ山地、東を[[ローヌ川]]とギエール川に囲まれる。
▲[[ファイル:Savoie departement locator map.svg|thumb|left|[[サヴォワ県]]]]
▲[[ファイル:Relief Savoie.GIF|thumb|350px|right|サヴォワの等高図(赤い方が高い)]]
==歴史==
[[11世紀]]初頭、[[神聖ローマ皇帝]][[コンラート2世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート2世]]がこの地方を征服した際、この地方は[[サヴォイア家]](サヴォワ家)の始祖となる[[ウンベルト1世 (サヴォイア伯)|ウンベルト1世ビアンカマーノ]]の所領となった。
以来サヴォイア家の[[サヴォイア伯国|サヴォイア(サヴォワ)伯領]]として発展し、[[1416年]]には[[サヴォイア公国|サヴォイア(サヴォワ)公国]]となるが、[[1563年]]に宮廷が[[シャンベリ]]から[[トリノ]]に遷される。 [[1720年]]にサヴォイア公[[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]が[[サルデーニャ|サルデーニャ島]]と王位を手に入れ[[サルデーニャ王国]]が成立すると、サヴォワは実質的には王家ゆかりの地という一地方となった。1792年から1815年まで、サヴォワは[[フランス革命]]軍の支配下にあったが、1793年にはフランスの支配を排除するために戦争を起こした([[メリベル戦争]])。[[1860年]]にサルデーニャ王国は[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]の下で[[イタリア統一]]を果たしたが、フランスに[[イタリア王国]]を承認させるため、[[ニース]]地方(イタリア語ではニッツァ)と共にサヴォワを[[フランス第二帝政|フランス帝国]]に割譲した(なお、サヴォイア公の称号はこの時まで用いられており、以後もイタリア王の名目上の称号の一つとして保持された)。
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