「テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)」の版間の差分

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[[527年]]にユスティニアヌスが叔父の跡を次いで皇帝に即位すると、テオドラは皇后となった。貧しい身分からたくましく生き抜いて来た女傑テオドラは、たびたび夫の助言者として国政に関与した。後世の歴史家には彼女を「女帝」と呼ぶ者さえいた。
 
特に有名なのは、[[532年]]の首都市民による「[[ニカの乱]]」の際のテオドラの対応である。[[プロコピオス]]の『[[戦史 (プロコピオス)|戦史]]』によれば、反乱にうろたえて港に船を用意して逃亡しようとするユスティニアヌスを制してテオドラは、
{{quotation|もし今陛下が命を助かることをお望みなら、陛下よ、何の困難もありません。私達はお金を持っていますし、目の前には海があり、船もあります。しかしながらお考え下さい。そこまでして生き延びたところで、果たして死ぬよりかは良かったといえるものなのでしょうか。私は『帝衣は最高の死装束である』という古の言葉が正しいと思います。}}
と演説し、これによって勇気を取り戻したユスティニアヌスは将軍ベリサリウスに命じて反乱を武力鎮圧させた<ref name=shimazaki>島崎(2010)pp.126-127</ref>。なお、[[アヤソフィア|聖ソフィア教会]]はこのニカの乱で焼失したが、ユスティニアヌスは反乱終結39日後にその復旧に着手した<ref name=shimazaki/>。