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清康は、若年ながら家督相続から十余年で三河をほぼ統一した[[名将]]であった。その清康の死後、松平氏は嫡男の広忠が継いだが、広忠は若年の上に凡庸な人物だったため、尾張から侵攻してくる織田信秀の脅威に耐えられなくなっていった。三河国は、松平氏の一時的な没落で、尾張の[[織田氏]]と、[[駿河国]]・[[遠江国]]の[[今川氏]]の草刈り場となり、松平清康によって平定したかに見えた[[渥美郡]]の[[戸田氏]]・[[宝飯郡]]の[[牧野氏]]も再び自立傾向を見せ始めるなど三河の諸豪族も次々と、松平氏から離反し、松平氏の勢力は清康の死去により大きく衰退した。
 
松平氏が再び三河を再統一するのは[[永禄]]9年([[1566年]])に清康の孫・家康のときであり、清康の死後から30年後のことであった。
 
== 事件の謎 ==