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天文18年([[1549年]])、晴元が[[三好長慶]]に敗れて没落した後、天文22年([[1553年]])に長慶の弟・[[三好義賢]]によって[[見性寺]]において殺された(勝瑞事件)。享年57。
 
勝瑞事件の原因として三好長慶に対抗するため[[足利義栄]](義維の子)を擁して上洛を謀ったが義賢に漏れたとする説、阿波国内での義賢の力の増大に脅威を感じて暗殺を謀ったのが義賢に漏れたとする説、細川晴元の再起を持隆が支援しているのが義賢に漏れたとする説があるが、晴元と長慶の戦いの最中に積極的な行動を起こ三好氏に好意的とも言える立場を採った持隆が突然長慶・義賢と対立するに至った背景には不明な点が多い<ref>若松、2013年、P441-446</ref>。
 
== 脚注 ==