「2006 FIFAワールドカップ日本代表」の版間の差分

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;コンディション
*開幕2週間前の5月30日に開催国[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]とテストマッチを行い、予想外に善戦して2-2で引き分けた(高原の2ゴールで一時は2-0とリードした)。[[日本サッカー協会|JFA]]テクニカルレポートではこの段階で「コンディションのピークを迎えてしまった」と分析されている<ref>[[宇都宮徹壱]] "[http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200701/at00011992.html “総括”で隠されたもの(2/3) 第5回フットボールカンファレンスより]". スポーツナビ.(2007年1月10日)2013年10月16日閲覧。</ref>。6月4日に行なわれた最後のテストマッチでは、格下[[サッカーマルタ代表|マルタ代表]]を相手に締まりのない内容で1-0に終わり、本番前にチームの雰囲気が変わってしまった<ref>"[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/soccer/shukyu/200906/CK2009061002000256.html <南アW杯企画>伝わらなかったジーコの真意]". 中日スポーツ.(2009年6月17日)2013年10月16日閲覧。</ref><ref>宇都宮徹壱 "[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2012/columndtl/201005290007-spnavi 元キャプテンが語る2006年の蹉跌 W杯招致アンバサダー、宮本恒靖インタビュー(後編)page1/2]". スポーツナビ.(2010年6月4日)2013年10月17日閲覧。</ref>。
*ドイツに来れなかった久保や田中誠のほかにも、大会中コンディションが万全ではない選手がいた。柳沢は2月に右足を骨折してから復帰間もなく、加地はドイツ戦で[[バスティアン・シュヴァインシュタイガー|シュバインシュタイガー]]のラフタックルを受けて初戦を欠場。坪井はオーストラリア戦で両脚けいれんのため途中交代。高原はブラジル戦で交代出場した6分後に負傷退場。中村は風邪による発熱が続いたが、ジーコは実績を信頼して3試合フル出場させた<ref name="number06928">"[http://number.bunshun.jp/articles/-/12531?page=2 追跡インタビュージーコ 「いまこそ本心を語ろう」page2/2]". Number web.(2006年9月28日)2013年10月16日閲覧。</ref>。
 
;ジーコの采配
*試合終盤の8分間に逆転負けを喫したオーストラリア戦では、積極的な選手交代を行ったオーストラリアの[[フース・ヒディンク]]監督と比較して、ジーコの選手交代の人選・タイミングについての疑問が寄せられた<ref name="number06614">木ノ原句望 "[http://number.bunshun.jp/articles/-/14455 2006年 ドイツW杯 グループF VS.オーストラリア]". Nunber Web.(2006年6月14日)2013年10月17日閲覧。</ref><ref>"[http://germany2006.nikkansports.com/column/sawanobori/sawanobori20060613.html 沢登正朗コラム 2006年W杯]". 日刊スポーツ.(2006年6月13日)2013年10月17日閲覧。</ref>。ジーコは後半38分にFW柳沢をMF小野に変えた意図について「小野をボランチに入れることで中田を上げ、中村と試合の流れを変えられる選手である小野の個の能力により、前がかりになったオーストラリアの裏を突けると思った」と説明しているが<ref name="js06626">"[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00034615.html 【日本代表 ジーコ監督退任記者会見】「悔いも恥じることも、何もない。全身全霊で打ち込めた4年間だった」]". J's GOAL.(2006年6月26日)2013年10月18日閲覧。</ref>、中村は試合後に「途中までうまく行っていた。(小野)伸二が入って中途半端になった」と述べた<ref name="number06614"/>。
*ジーコは退任にあたって「采配についての反省は全くない」と語り、日本人選手の体格面のハンディを挙げて、育成世代からのフィジカル強化を希望した<ref name="js06626"/>。また、別のインタビューでは、何回もチャンスを作りながらイージーシュートをミスした決定力不足に苦言を示している<ref name="number06928"/>。
 
;チームの内情
*ジーコは戦術について選手の自主的な判断に任せていたが、相手ボール時の守備の仕方(DFラインの位置)について、攻撃(海外組)と守備(国内組)の選手間の意見がまとまらなかった。オーストラリア戦では追加点を奪おうと攻め急ぐ前線から、ロングボールを警戒して後退する最終ラインまでの距離が間延びして、中盤に大きなスペースが生じた<ref>木崎『敗因と』、180-181頁。</ref>。
*レギュラーとサブメンバーの間にモチベーションの違いがあり、チームがひとつにまとまり切れなかった。ジーコはのちに週刊誌のインタビューで「腐ったミカンは周りにも悪影響を及ぼす<ref>"[http://www.j-cast.com/2007/03/20006306.html?p=all ジーコ暴露「腐ったミカン」 日本代表のだれだ?!]". .(2007年3月20日)2013年10月15日閲覧。</ref>」「“自分はどうせ控えだから”とふて腐れた選手は仲間を作り始める。結果、チームはひとつじゃなくなってしまった<ref>"[http://news.livedoor.com/article/detail/4323872/ Sports Watch ジーコ、ドイツW杯の敗因を明かした!]". Sports Watchライブドアニュース.(2009年9月1日)2013年10月15日閲覧。</ref>」と述べた。今大会のメンバーには、前回大会における[[中山雅史]]や[[秋田豊]]、[[AFCアジアカップ2004|アジアカップ2004]]における[[藤田俊哉]]や[[三浦淳宏]]のような、ベンチからチームを鼓舞するベテランが不在だった(宮本は負傷離脱した田中誠がそのような役柄をできると思っていたと述べている)<ref>宇都宮徹壱 "[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2012/columndtl/201005290007-spnavi?page=2 元キャプテンが語る2006年の蹉跌 W杯招致アンバサダー、宮本恒靖インタビュー(後編)page2/2]". スポーツナビ.(2010年6月4日)2013年10月17日閲覧。</ref>。
*大会後、[[川淵三郎]]キャプテンは[[ロイター通信]]のインタビューにおいて「中田英寿は他の選手と交流を持つことができなくなっていた」と語った<ref>木崎『敗因と』、113頁。</ref>。現役最後のゲームとなったブラジル戦の試合後、ピッチに仰向けに倒れたままの中田を労ったのは、キャプテン宮本とチームスタッフ、ブラジル代表の[[アドリアーノ・レイテ・リベイロ|アドリアーノ]]([[パルマFC|パルマ]]時代の同僚)だけだった。