「ラ・ヴァルス」の版間の差分

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==曲の概要==
ラヴェルは初版に、{{要出典範囲|date=2010年10月|おそらく交響詩「ウィーン」の着想の頃に遡る、}}次のような[[標題音楽|標題]]を寄せている。
{{独自研究|date=2010年10月|section=3}}
 
ラヴェルは初版に、{{要出典範囲|date=2010年10月|おそらく交響詩「ウィーン」の着想の頃に遡る、}}次のような[[標題音楽|標題]]を寄せている。
 
:渦巻く雲の中から、ワルツを踊る男女がかすかに浮かび上がって来よう。雲が次第に晴れ上がる。と、A部において、渦巻く群集で埋め尽くされたダンス会場が現れ、その光景が少しずつ描かれていく。B部のフォルティッシモでシャンデリアの光がさんざめく。[[1855年]]ごろの[[オーストリア]]宮廷が舞台である。
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この文章が示唆するように、曲はまず低弦のトレモロによる混沌とした雰囲気に始まり、徐々にワルツのリズムとメロディが顔を出す。一旦賑やかにワルツとしての形を整えた後、ゆったりとした新たな主題が出て、いかにもワルツらしい雰囲気を積み重ねていく。
 
しかし『ラ・ヴァルス』は、{{要出典範囲|date=2010年10月|ラヴェルが[[第一次世界大戦]]への従軍とその後の[[心的外傷後ストレス障害|シェル・ショック]]を経験した後に完成させたため、19世紀のオーストリア文化への憧れはもはや表現されなかった}}。曲も展開が進むに連れて徐々にワルツらしいリズムが崩れ始め、テンポが乱れてくる。転調を繰り返し、リズムを破壊して進み、冒頭の主題が変形されて再現された後、最後の2小節で無理やり終止する。このようにダンスに熱狂する人々が描き出されながらも、表現には常に翳りが付きまとい、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の破局の予感と、その不安ゆえに、いよいよダンスにのめりこまずにいられない市民の姿が暗に示されている。
 
1855年のオーストリアといえば、[[フランツ・ヨーゼフ1世]]の治世初期にあたり、まさに帝国の「終わりの始まり」の時期であった。{{要出典範囲|date=2010年10月|終結部での[[無調]]的なパッセージは、帝国の崩壊が明示されているのだろう}}。曲全体に散見されるやや皮肉の交じった暗い調子は、{{要出典範囲|date=2010年10月|ワルツというより一種の「[[死の舞踏]](ダンス・マカーブル)」というべき}}であり、このようなワルツの扱い方は、{{要出典範囲|date=2010年10月|[[スケルツォ]]楽章における[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[レントラー]]の扱いにどことなく似ている}}。
 
==演奏時間==