「真空地帯」の版間の差分

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[[1952年]]2月、[[河出書房]]から書き下し長篇小説として刊行され<ref>[http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000885958/jpn 書誌ID 000000885958 国立国会図書館]</ref>、[[毎日出版文化賞]]を受賞した。さらに、評価をめぐって、[[宮本顕治]]と[[大西巨人]]の論争のきっかけともなり、様々な文芸誌で批評の対象となった<ref>[http://opac.ndl.go.jp/articleid/5239744/jpn 小田切秀雄「野間宏著『真空地帯』の問題」文藝 1952年5月号 雑誌記事ID 331851500 国立国会図書館]</ref>。
 
作者は、[[1941年]]、大阪歩兵第3737聯隊[[歩兵砲]]中隊に入営後、[[フィリピン]]に送られるも、[[マラリア]]に罹って内地の陸軍病院に入院。その後、[[1943年]]、左翼運動の前歴を[[憲兵]]に詮索され、[[治安維持法]]違反容疑で[[軍法会議]]にかけられて、[[第4師団 (日本軍)|大阪陸軍刑務所]]に半年入所した。本作には、このような作者の体験が色濃く反映され、軍隊の苛烈な状況の頂点を敵と生死を分つ闘いを繰り広げる戦場ではなく、教育・訓練の場である「[[内務班]]」に求めた。
 
== あらすじ ==
陸軍刑務所での2年間の服役を終え仮釈放となった木谷一等兵(上等兵から降等)は、敗色濃厚になりつつあった1944年の冬に古巣の大阪歩兵聯隊歩兵砲中隊に復帰する。木谷は聯隊経理室勤務の事務要員であったが、経理委員間の主導権争いに巻き込まれ、上官の財布を窃盗した疑いで軍法会議にかけられた。馴染みの娼妓から押収された木谷の手紙の一節は反軍的と看做され取調の法務官に咎められるのだった。刑務所での苦しい生活から解放されて戻ってきた中隊では、木谷を知る者は古い下士官しかおらず、内務班の兵隊は年次が下の現役古参兵と初年兵の学徒兵、それに応召してきた中年の補充兵ばかりであった。古参兵は野戦行の噂におびえ、学徒兵は慣れない兵隊生活に戸惑い、班内は荒れていた。
 
古参兵どもは木谷がどこから帰ってきたのか詮索しようとするが、本人が明かさないので、陸軍病院下番(退院)で少し頭がおかしいのだと思っている風であった。そのうち、どこからともなく陸軍刑務所に入っていたと分かり、しかも自分たちより軍隊生活の長い最古参の4年兵であったので、班内は奇妙な空気に包まれる。ある夜、班内でおおっぴらに監獄帰りと揶揄した初年兵掛上等兵を散々に打ちのめした木谷は、4年兵の権威をもって班内の全員を整列させ、「監獄帰りがそんなにおかしいのかよ」と喚きながら一人一人に次々とビンタを見舞うのだった。孤立状態のなか、木谷はもとの経理室の要員を訪ねるのだが、敬遠されてしまう。中隊事務室で人事掛の事務補助をしている曽田一等兵は、激しいリンチや制裁がまかり通る軍隊のことを一般社会から隔絶された「真空地帯」だと表現していた。
 
木谷を厄介者と見ていた中隊人事掛の立沢准尉は野戦要員の補充兵の父親から賄賂をもらって、木谷をその代わりとして野戦要員にしてしまう。その密談を立聞きしていた曽田一等兵から真相を聴いた木谷は荒れ狂い、中隊事務室で立沢准尉を詰問し、自分を刑務所に送った経理委員の中尉の居室を襲って殴り倒し、夜間脱柵をはかるのだった。連れ戻された小谷は中隊から追い出されるようにすし詰めの輸送船で戦地に向かった。