「2月革命 (1917年)」の版間の差分

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国会の解散を皇帝に命じられた議長ロジャンコは、これらの混乱を見て国会議員12名からなる臨時委員会を設置した。皇帝への忠誠にも関わらず、ロジャンコは翌日早朝委員会をもって政権を掌握することを決定し、各部署の接収を開始した。
 
この頃、[[メンシェヴィキ]]に所属する議員や労働者代表などにより、1905年と同様な[[ソビエト|ソヴィエト]]の結成が呼びかけられていた。同日夜の会議で臨時委員会メンバーのメンシェヴィキの[[ニコライ・チヘイゼ]]が議長に、臨時委員会メンバーで当時革命派議員の有力者と目されていた[[社会革命党]]の国会議員[[アレクサンドル・ケレンスキー|ケレンスキー]]を副議長にしてペテルブルクのソヴィエトが結成された。同時に選出された執行委員15人の内、急進的な革命を唱える[[ボリシェヴィキ]]は2名のみであった。
 
== 関連項目 ==
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