「李元翼」の版間の差分

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====光海君時代====
宣祖が死ぬと柳永慶ら小北派は永昌大君を王位に擁立するが、大北派が[[光海君]]を即位させ、[[光海君]]によって領議政となって、大同法を拡大施行したり、軍事制度を改革して、悪政を正そうとした。また、みずからも土地1結あたり16斗の米を納税した。だが臨海君、永昌大君の処刑に反対したため、大北派に目をつけられた。1617年[[李爾瞻]]が廃母論を主張すると、奇自獻、鄭逑らと共に反対するが、それもむなしく江原道洪川郡に流された。1619年(光海君11年)釈放された。
 
====仁祖時代====