「ラムゼイ・マクドナルド」の版間の差分

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== 経歴 ==
かつては[[ヘンリー・ハインドマン]]の社会民主連盟のメンバーで<ref>Bryher, Samual: An Account of the Labour and Socialist Movement in Bristol, 1929</ref><ref>Lord Elton: The life of James Ramsay MacDonald, 1939, London, p.44</ref>、労働党代表委員会の主事、初代労働党書記長を務め、[[第一次世界大戦]]では非戦論者であり、党首を辞任する。その後、1918年の選挙で復帰し、党首に再任される(一説によれば1922年に党首復帰)。1924年、ジョージ5世からの組閣要請で[[自由党 (イギリス)|自由党]]の[[閣外協力]]で史上初の労働党政権の首相兼外相となるが、[[ジノヴィエフ書簡]]などの影響で総選挙に敗れ、9ヵ月で退陣した。1929年、第2次の労働党単独内閣を組閣する。1931年から1935年までは、ジョージ5世からの大命で労働党を除く[[挙国一致内閣]]の首相を務めた。1931年には非常関税法を制定、インヴァーゴードン反乱によるポンド危機で[[金本位制]]を放棄し、[[通貨安競争]]を起こした。また[[ウェストミンスター憲章]]を制定して[[イギリス連邦]]を発足させた。経済政策では恐慌対策で党の方針に反して離党し、1931年には非常関税法、1932年には保護関税法を制定、スターリング[[ブロック経済]]を築いた。[[外交]]ではロンドン会議で[[ロンドン海軍軍縮条約]]を成立させた。
 
== 脚注 ==