「山西省」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Norio-abc (会話 | 投稿記録)
64行目:
[[春秋時代]]には[[晋 (春秋)|晋]]の領域であり、晋分裂後は大部分が[[趙 (戦国)|趙]]、一部が[[韓 (戦国)|韓]]及び[[魏 (戦国)|魏]]に属した。
 
[[秦|秦代]]以降[[太原郡]]、[[河東郡]]等の管轄とされた。[[西晋]]の時代になると[[并州]]、[[司州]]、[[幽州]]が設置され、[[五胡十六国時代]]の[[前趙]]・[[後趙]]・[[北魏]]がいずれも大同を国都と定めた。[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]になると[[北魏]]により[[并州]]・[[汾州]]・[[恒州]]・[[肆州]]・[[建州]]・[[晋州]]・[[泰州]]・[[東雍州]]の8州が、[[隋|隋代]]には太原、上党などの13郡が設置された。
 
隋末になると[[李淵]]が山西省で騎兵し[[唐|唐朝]]を建て、山西地区は[[河東道]]と称された。[[宋 (王朝)|宋代]]には[[河東路]]とされたが、大同周辺は[[燕雲十六州]]の一部として[[遼|遼朝]]の支配地域となった。