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[[File:Laura Vicuña.jpg|right|thumb|200px]]
'''ラウラ・ビクーニャ'''(Laura Vicuña、[[1891年]] - [[1904年]][[1月22日]])は[[アルゼンチン]]の少女、[[カトリック教会]]の[[福者]]。
 
== 生涯 ==
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その後、ラウラは結核に罹り、寄宿学校近くの小屋に住み母の看護を受けた。ラウラの容態は悪化し喀血と嘔吐を繰り返しラウラは母にモーラと別れるよう頼んだ。母は司祭を証人として立て娘の約束に応えた。1904年1月22日、12歳で死去した。遺骸は扶助者聖母会の墓地に埋葬され、メルセデスは執拗に復縁を迫るモーラと決別した。教会は彼女の英雄的徳を認め、1955年に列福調査を開始し、1986年、尊者にし、1988年9月3日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された<ref>サレジオ家族の聖人略伝「福者ラウラ・ビクーニャ」よりより</ref>。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 出典 ==
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* 『アンデスの天使』 やなぎやけいこ著 ドン・ボスコ者
* 『聖女の条件』 竹下節子著 中央公論新社
 
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[サレジアン・シスターズ]]