「リュート」の版間の差分

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17世紀末にはフランスやイギリスではリュートは急激に廃れていったが、18世紀にもドイツ周辺においては幾人かの優れたリュート奏者がいた。これらの地域でも始めはスティル・ブリゼの影響が大きかったが、ボヘミアの伯爵であった[[ヨハン・アントン・ロジー・フォン・ローゼンタール|ヤン・アントニーン・ロジー]]らの作品に見られるように、次第にイタリアのカンタービレ(歌うような)様式を取り込むようになった。ドイツのリュート音楽で最大の巨匠とされるのは、[[ドレスデン]]の宮廷で音楽家として最高給を得ていた[[シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス]]であり、様式・技巧の面でバロックリュートを完成に導いた。また、リュートのコース数を13コースに拡張したのも、ヴァイスの創案によるものとされる。[[プロイセン]]の宮廷リュート奏者[[エルンスト・ゴットリープ・バロン]]は、[[ヨハン・マッテゾン]]のリュート批判に対する応酬として、リュートに関する重要な書物『楽器リュートの歴史的・理論的・実践的研究』(Historisch-Theoretische und Practische Untersuchung des Instruments der Lauten、邦題『リュート ―神々の楽器—』)を著述した。ヴァイスと同時代人の[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]もごく少数のリュート用と思われる作品を残しているが、残されている自筆譜はタブラチュアではなく通常の楽譜で記譜されている。このことから、バッハ自身はリュートは演奏しなかったという説が強い。
 
ヴァイス以降も全くリュートが弾かれなくなったわけではなく、[[アダム・ファルケンハーゲン]]や[[ベルンハルト・ヨアヒム・ハーゲン]]らは高い水準のリュート曲を残した。あまり知られてはいないが、[[古典派音楽]]の時代においても、[[カール・コハウト]]などニ短調調弦のリュートを弾く音楽家は存在した。近代以前の曲で、ニ短調調弦のリュートのために書かれた最後の曲と思われるのは、[[クリスティアン・ゴットリープ・シャイドラー]](1752 - 1814)の「[[モーツァルト]]の主題による変奏曲」である<ref>{{Cite book|和書|author=佐藤豊彦|year=2000|title=バロックリュート教則本|publisher=アカデミアミュージック株式会社|isbn=4-87017-070-1|pages=35}}</ref>。
 
== チューニングとピッチ ==