「海城地震」の版間の差分

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Kelin Wangらは、予知は前震に頼るものであり、それ以前に中長期的に予知されていたとして伝えられている話にも疑問点があることを指摘している。1975年1月中旬に国家地震局の会議で「M6クラスの地震が"1-2カ月以内"に発生する可能性がある」ことが指摘され、これが海城地震が「短期予知された」根拠だと伝える資料があるが、正確には「M6クラスの地震が"1975年前半、場合によっては1-2カ月以内"に発生する可能性がある」ことが指摘されたにとどまり、中期予知の範疇であった。また、地震当日深夜の遼寧省地震弁公室の報告では地震が発生する時期について具体的に明言されておらず、予知の3要素(場所・時間・規模)を満たしていなかった<ref>Kelin Wang, Qi-Fu Chen, Shihong Sun, Andong Wang. "Predicting the 1975 Haicheng earthquake."{{En icon}} ''Bulletin of the Seismological Society of America'', 96.3, 2006, 757-795. {{DOI|10.1785/0120050191}}</ref>。こうしたことから夏新宇(Chen Qi-Fu)は、遼寧省が地震当日朝に発令した臨震警報の根拠は、豊富な前震活動に依存したものだったと指摘している<ref name="qq130326">孙滔(中国新闻网)「[http://view.news.qq.com/a/20130426/000001.htm 海城地震预报:难以传承的“经验”]」(海城地震の予知:継承し難い「経験」){{Zh icon}}、[[テンセント|腾讯]]网、2013年3月26日付、2013年10月18日閲覧</ref>。中国の地震予知事業のきっかけである1966年邢台地震において、活発な前震→静穏化→大地震というパターンが観測されていたことも、前震による危機感を強める原因となった<ref name="qq130426">谌旭彬「[http://view.news.qq.com/zt2013/hcts/index.htm 海城地震世界首次成功预报真相]」(世界初の成功した地震予知、海城地震の真相){{Zh icon}}、腾讯网 今日话题历史版、2013年4月26日付、2013年10月18日閲覧</ref>。そもそも、前日から当日までの活発な前震活動は住民も体感しており、地鳴りを伴った地震が続いて眠れなかった住民もいたほどと伝えられ、大きな地震の発生を恐れて自主的に避難する者もいたという<ref name="qq130326"/>。
 
また、1年半後にこの地震の震源から約200km離れた[[唐山市]]付近を震源として発生した[[唐山地震]]では、臨震警報は出されず、20万人を超える犠牲者が出ることとなった。唐山地震では、水準測量や[[ラドン]]濃度などの前兆はあったものの、その分布が不規則で震源域の特定に至らなかったことや、前震がなかったことが予知できなかった原因とされている<ref name="Rikitake01-8-1"/><ref>[[#Rikitake01|力武、2001年]]、328-329頁</ref>。その後も2008年の[[四川大地震]]など被害地震が発生しているが<ref name="Ishikawa08"/>、予知の成功例はほとんどなく、中国においても世界と同様に地震予知は未だ困難とされている<ref name="qq130426"/>。
 
== 脚注 ==