「失われた地平線」の版間の差分

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しばらくしてコンウェイは最高位のラマ僧「大ラマ」と会う機会を与えられ、いろいろと話を聞いた。この僧院は1734年に53歳でこの地に来た[[カプチン会]]所属のカトリック神父ペローによって創建され、その後、土地になじんで次第に性格を変えていった。そしてこの大ラマは齢250歳以上という長寿の奇跡を手に入れたペロー神父その人だった。また、大ラマの話で、シャングリラではできる限り一定の数で新しい人を迎えるように務めてきたが、この20年ほど新来者がなかったので、信徒の一人が思いきって谷を出て補充の人員を連れてこようと提案し、大ラマの許しを得て計画を練り、偶然も手伝ってコンウェイら4人をここに連れてくることになったという事情も分かった。
 
張は今や何一つ隠さず、僧院の決まりや習わしを自由に語ってくれた。 また、僧院の何人かと知り合い、中にはショパンの直弟子を称するフランス人もいて、耳慣れた曲以外にもまだ出版されてないショパンの幾つかの作品までピアノで披露、楽譜に書き起こし、コンウェイはそれをお復習いして飽くことを知らなかった。 大ラマと会う機の面会もか設けられ、4回と回を重ね、広範な話題で心置きなく話し合い、心を交わした。 こうしてコンウェイは次第に心身一体の満足を疼くほどまでに覚えるようになった。
 
さらに時間が経ち、外部に出る唯一の機会である、その地に物資を運ぶ運送業者が来ることになった。そのころになると、コンウェイだけでなく、ミス・プリンクロウとバーナードもこの地に居残ることに心を決め、一人マリンソンだけが帰心矢のごとくだった。マリンソンは僧院の満州娘、羅珍と恋仲に陥っていた。張によれば、羅珍は1884年に18歳でここに来たというから、若くは見えるが実際はかなりの高齢である。