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ところが、[[応仁の乱]]で三宝院が焼失してしまい、廃寺同然となるが、[[安土桃山時代]]に醍醐寺金剛輪院の院主であった[[義演]]が[[豊臣秀吉]]の信頼が厚く、金剛輪院を中心に有名な「[[醍醐の花見]]」が開かれた。義演は准三后となり、秀吉の許可を得て三宝院32世を名乗り、金剛輪院を三宝院と改称した。桜で有名な[[醍醐寺三宝院庭園]]はその時期に整備された。義演は[[徳川家康]]からも信任を受け、[[江戸時代]]初期の[[天台宗]]系修験道である[[本山派]]本山の[[聖護院]]との相論では[[江戸幕府]]の支援を受けて、[[慶長]]18年(1613年)に[[修験道法度]]が制定された。
 
[[明治]]4年(1871年)、[[廃仏毀釈]]の影響で[[門跡]]号を差し止められるが、14年後に復称する。現在では、真言宗醍醐派総本山としての醍醐寺の宗務事務所が三宝院内に設置され、醍醐派管長・醍醐寺座主・三宝院門跡の三職を兼務する事が定められている。現在は[[仲田順和]]が在任している
 
== 伽藍 ==
*純浄観 - 重要文化財、桃山時代移築
*奥宸殿 - 重要文化財、江戸時代初期建立
*豊国大明神 - 庭の背後の小さな社。秀吉の神霊を祀る。
*枕流亭 - 茶室
*松月亭 - 茶室、江戸時代末期建立
 
== 文化財 ==
[[ファイル:Daigoji Sanboin Kyoto02s3s4200.jpg|thumb|唐門(国宝)]]
;国宝 -
*表書院 - 醍醐の花見の際に奈良から移された能の楽屋を再移転し、中門を付加するなど書院造風に整えたもの。
*唐門
*唐門 - 向い唐門、こけら葺、黒漆塗り。正面扉に金箔の桐紋、その脇に菊紋を張り付けるいかにも桃山期らしい豪壮な門。平成23年に行われた解体修理の結果、遺された墨書などから本来三宝院のために造られたものでなく、他の場所に建立する予定のものが何らかの事情によりここに建立されたと推測される。北政所の寄進、前田玄以の奉行により建立されたとの伝承もある。
*表書院
 
;特別名勝
*[[醍醐寺三宝院庭園]]- 秀吉の作庭になると伝え、築造には賢庭の名も伝えられている。中央に据えられた藤戸石は聚楽第から運ばれた由緒のあるもので天下の名石として名高い。
*[[醍醐寺三宝院庭園]]
;特別史跡
*醍醐寺三宝院庭園
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