「丹羽氏中」の版間の差分

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| 兄弟 =
| 妻 = 正室:[[丹羽氏賢]]の娘
| 子 = [[丹羽氏厚|氏厚]](三男)、[[丹羽氏正|氏正]](七男)
| 特記事項 =
}}
'''丹羽 氏中'''(にわ うじのり)は、[[江戸時代幕末]]の[[大名]]。[[播磨国|播磨]][[三草藩]]の第6代(最後藩主。氏次系丹羽家12代。
 
天保7年(1836年)2月18日、第5代藩主[[丹羽氏賢]]の弟・[[丹羽氏謙]]の三男として生まれる。[[嘉永]]6年([[1853年]])3月25日、伯父・氏賢の養子となる。同年10月15日、将軍[[徳川家定]]に拝謁する。同年12月8日、養父・氏賢の[[隠居]]により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下長門守に叙任する。
 
文久3年(1863年)9月10日、大番頭に就任する。[[慶応]]3年3月1日、大番頭を解任される。慶応4年([[1868年]])2月26日新政府に勤王誓書を提出、3月22日上洛し、恭順の姿勢を示す。[[戊辰戦争]]では新政府に軍資金を提供するなどして協力した。明治2年([[1869年]])6月23日の[[版籍奉還]]で[[事]]となり、明治4年([[1871年]])7月14日の[[廃藩置県]]で免官される。明治17年(1884年)4月21日に死去した。享年49。墓所は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]西麻布の長谷寺
 
墓所は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]西麻布の長谷寺。
 
{{三草藩主|6代|1853- 1871}}
 
{{DEFAULTSORT:にわ うしのり}}
[[Category:一色丹羽氏|うしのり]]
[[Category:江戸の大名三草藩主|*06]]
[[Category:譜代大名]]
[[Category:幕末の大名]]
[[Category:譜代大名日本の華族]]
[[Category:1836年生]]
[[Category:1884年没]]