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** 大型台風被害について、「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠るのが当然。弁当なども配る必要はない。天気予報があるのだから、健常者は食糧寝具くらい持って早めに避難所に来るのが普通」とコラムで述べる<ref>[http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001283/moyo_item.html ざいだん模様 透明な歳月の光 131 台風 教育のチャンス 利用を 2004年10月22日 産経新聞]</ref>。
** [[新潟県中越地震]]について、「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」とコラムで述べた<ref>[http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001284/moyo_item.html ざいだん模様 透明な歳月の光 132 地震に思う 災害時の知恵 訓練必要 2004年10月29日 産経新聞]</ref>。
* 日本財団の会長時代に、[[ペルー]]での小学校建設や不妊手術を伴う家族計画の保健所整備等の援助<ref>[http://www.diplo.jp/articles04/0405-3.html ペルー先住民が強制された不妊手術の実態] [[ル・モンド・ディプロマティーク]]2004年5月号</ref>を通して[[アルベルト・フジモリ]]元大統領と交流を持つようになり、[[2000年]]の日本亡命時には宿を提供した<ref>[http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0000266/moyo_item.html ざいだん模様 時代の風 フジモリ氏への宿提供?私は運命に従っただけ 2000年12月3日 毎日新聞]</ref>。理由を聞かれた際「クリスチャンとして、困窮している隣人に手を貸すのは当たり前」と応じた。
* 1972年から2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会 (JOMAS) の代表として海外の聖職者たちのボランティア活動にも協力(『神さま、それをお望みですか―或る民間援助組織の25年』に詳しい)。
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