「曽野綾子」の版間の差分

** 大型台風被害について、「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠るのが当然。弁当なども配る必要はない。天気予報があるのだから、健常者は食糧寝具くらい持って早めに避難所に来るのが普通」とコラムで述べる<ref>[http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001283/moyo_item.html ざいだん模様 透明な歳月の光 131 台風 教育のチャンス 利用を 2004年10月22日 産経新聞]</ref>。
** [[新潟県中越地震]]について、「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」とコラムで述べた<ref>[http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001284/moyo_item.html ざいだん模様 透明な歳月の光 132 地震に思う 災害時の知恵 訓練必要 2004年10月29日 産経新聞]</ref>。
**2013年の台風による伊豆大島[[大島町]]における土砂崩れ災害の避難民に対し、「テレビを見ていると、避難所で毛布や水やお弁当らしいものが渡されている」が、「あんなことはしなくていい」と断定。1974年版のスイス「民間防衛」を引き、「2日か3日分の水と食料、簡単な寝具と使い捨てカイロ、懐中電灯、着替え」などを持って避難すべきである、「水とカンパンだけは、自治体が少し用意しているといい」と持論を展開。「そういう時にこそ、いつも国家や社会に対して、よこすことばかり要求することに慣れている世代を、自発的に人に与えるという光栄を知る本物の大人に帰る訓練ができる」「住民は寒さに震えながら身を寄せ合い、耐え難い不安の中で避難所の夜を過ごしてこそ人生がわかるのだ。避難民をお客扱いにすることは、どんな困難にも生き抜くすべを、すべての国民に訓練する機会を奪うことになる」と主張する(2013年10月23日 産経新聞 曽野綾子の透明な歳月の光第562回「避難所の待遇」)。なお、同災害においては行政からの避難勧告がなかなか出されず、町民は被害が大きくなってからの迅速な避難を余儀なくされたこと、大島町の人口構成は60歳以上の高齢者や20歳以下の未成年者など、非力な世代がほとんどであることについて、曽野は一切言及していない。
* 戦地に[[折鶴]]を贈る[[市民運動]]に対し「戦地に送るなら金を送った方が遥かに有用なのに、全く馬鹿げている」と批判。ただし、戦地に募金や物資を送ることについても「甘やかすな」と批判している。
* 日本財団の会長時代に、[[ペルー]]での小学校建設や不妊手術を伴う家族計画の保健所整備等の援助<ref>[http://www.diplo.jp/articles04/0405-3.html ペルー先住民が強制された不妊手術の実態] [[ル・モンド・ディプロマティーク]]2004年5月号</ref>を通して[[アルベルト・フジモリ]]元大統領と交流を持つようになり、[[2000年]]の日本亡命時には宿を提供した<ref>[http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0000266/moyo_item.html ざいだん模様 時代の風 フジモリ氏への宿提供?私は運命に従っただけ 2000年12月3日 毎日新聞]</ref>。理由を聞かれた際「クリスチャンとして、困窮している隣人に手を貸すのは当たり前」と応じた。
* 1972年から2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会 (JOMAS) の代表として海外の聖職者たちのボランティア活動にも協力(『神さま、それをお望みですか―或る民間援助組織の25年』に詳しい)。
36,732

回編集