「市場原理主義」の版間の差分

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[[経済学者]]の[[榊原英資]]は「市場原理主義の核心は、[[レオン・ワルラス|ワルラス]]的な[[一般均衡理論]]に基づく[[新古典派]]パラダイムにある。新古典派の『均衡モデル』は現実とは無縁の虚構に過ぎない。『不安定性』こそが市場の現実である」と指摘している<ref name="keizaigakuwoshiranai">野口旭 『経済学を知らないエコノミストたち』 日本評論社、2002年、99頁。</ref>。それに対し、経済学者の[[野口旭]]は「単に[[新古典派経済学]]へのありがちな誤解を示しているに過ぎない」と反論している<ref name="keizaigakuwoshiranai" />。
 
経済学者の[[田中秀臣]]は「一部の論者は、『市場原理主義』への反感が高じると、その理論的支柱を築いた経済学者に批判を浴びせる<ref>田中秀臣 『不謹慎な経済学』 講談社〈講談社biz〉、2008年、141頁。</ref>」「『市場主義と利権集団が密接に絡んでいる』という認識は、今日の経済論戦の方向に、大きく関わっており、経済学者・エノミストの議論がどれだけ影響されているのかを見極めるのに重要なことである<ref>田中秀臣 『不謹慎な経済学』 講談社〈講談社biz〉、2008年、155頁。</ref>」と指摘している。
 
野口旭は「反市場原理主義者の考える市場原理主義者とは、市場原理を信奉する人々、すなわち『経済学者』のことである。つまり、反市場原理主義者の真の攻撃対象は、経済学者および[[経済学]]そのものである<ref>野口旭 『経済学を知らないエコノミストたち』 日本評論社、2002年、98頁。</ref>」「市場への介入・規制は社会的弱者や消費者の保護といいた理由を掲げて行われる。しかしそれらは、競争制限による特定の生産者や業界の保護、それに依存する官庁の保護に帰結する場合が多い<ref>野口旭 『経済学を知らないエコノミストたち』 日本評論社、2002年、98頁。</ref>」と指摘している。