「ジュークボックス」の版間の差分

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Neg zoe (会話 | 投稿記録)
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ジュークボックスは当初から極めて収益性の高い産業だった。1940年代から1960年代中盤まで人気が高く、特に1950年代に大流行した。1940年代中ごろ、アメリカで生産されたレコードの4分の3がジュークボックスで使われた<ref name="tcow">{{cite book|last=Cowen|first=Tyler |title=In praise of commercial culture|publisher=Harvard University Press|date=2000|pages=164,166|isbn=0674001885|accessdate=20 Sep 2009}}</ref>。
 
日本には戦後に[[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]が導入したといわれ、[[1970年代]]まで[[飲食業]]や[[ホテル]]などに設置されて全盛期を迎えたといわれている。太東貿易(現[[タイトー]])、レメーヤー&スチュアート社(後のサービスゲームズ。現[[セガ]])、V&V社の3社が最大手として、米国よりジュークボックスを輸入していた。1960年には国産初のジュークボックス「セガ1000」が発売されている。しかし[[1980年代]]になると[[コンパクトディスク|CD]]や[[カラオケ]]の登場で市場が小さくなり、従来型のものは姿を消した。
 
海外ではCDの登場と共に、CDを採用したジュークボックスが登場している。さらに、20世紀末にかけて、CDも使わない完全デジタル式のジュークボックスが登場した。これは楽曲選択機構と再生機構を専用のコンピュータで置き換えたものである。新たな楽曲を[[インターネット]]からダウンロードするので、収録曲が絶対に古くならない利点がある。