「武水別神社」の版間の差分

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* 息長足比売命 (おきながたらしひめのみこと、[[神功皇后]])
* [[比売神|比咩大神]] (ひめおおかみ)
<!--{{要出典|範囲=[[武水別命]]は[[神武天皇]]-[[神八井耳命]]-武宇都彦命-武速前命-敷桁彦命-武恵賀前彦命-建借彦命([[仲国造]])に続く[[皇統]]とされる。|date=2013年10月}}-->
 
{{要出典|範囲=[[武水別命]]は[[神武天皇]]-[[神八井耳命]]-武宇都彦命-武速前命-敷桁彦命-武恵賀前彦命-建借彦命([[仲国造]])に続く[[皇統]]とされる。|date=2013年10月}}
 
== 歴史 ==
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* [[貞観 (日本)|貞観]]8年([[866年]])6月、無位から従二位 (『[[日本三代実録]]』)<ref name="従五位下" group="注">なお、神社由緒では貞観2年([[860年]])に従五位下を授かったとしている([http://takemizuwake.web.fc2.com/menu/jinjashokai.html 神社のご紹介]<公式サイト>)(典拠は不明)。<!--典拠不明であり、貞観8年に「無位から」とあり、「神道・神社史料集成」にも記載がないので脚注で扱っておく--></ref>
* 貞観9年([[867年]])3月26日、官社に列格 (『日本三代実録』)
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=== 異説 ===
{{出典の明記|date=2013年10月|section=1}}
この西方の山際には古代の郡司があったと推定される「郡」という集落があり、そこの「本八幡」と言う神社が元だと伝えられてもいる。また、この神社の重要な祭事である大頭祭についても、[[千曲川]]上流の[[佐良志奈神社]]の様式に倣ったものとする説もあるなど疑問視されている点もある。
 
近年、当社の西隣に堀跡や土塁跡を有する松田神官邸の修復に伴う発掘調査が進められている。四方には土塁が築かれているほか、近代までは堀が巡らされており、中世の居館と推定されている<ref>[http://www.city.chikuma.lg.jp/docs/2013071800040/files/city40.pdf 武水別神社神官 松田邸](千曲市ホームページ)。</ref>。このことから[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に千曲川の水運の便を得られる現在の位置に郡の地から移されたとする説もある。なお、松田家は[[相模国]][[足柄郡]]松田郷の出身で武田氏に仕え、[[元亀]]元年に[[武田信玄]]の[[更級郡]]八幡東徳寺支配の朱印状を受けた。そして武田家に続き織田政権が北信地域を支配したが相次いでの滅亡後、[[上杉景勝]]に仕えて神官と[[稲荷山宿|稲荷山城]]の管理をも任される武将を兼ねていたとも伝えられる。-->
 
== 境内 ==