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'''岡 邦雄'''(おか くにお、[[1890年]]([[明治]]23)[[1月15日]] - [[1971年]]([[昭和]]46)[[5月22日]])は[[科学史]]家。山形県米沢市生まれ。[[東京物理学校]](現在の[[東京理科大学]])卒。旧制[[第一高等学校]](現在の東大教養学部)助教授。[[1932年]]に[[戸坂潤]]らとともに[[唯物論研究会]]の創立に参加した。[[治安維持法]]により[[1938年]]に逮捕されたが終戦後に釈放され、[[鎌倉アカデミア]]で教えた。[[技術論論争]]の論客としても知られる。[[1936年]]には糟糠の妻と6人の子を捨て、26歳の[[ロシア語]]翻訳者[[桝本セツ]]との恋愛に走ったことで世間を騒がせ、新聞には、自らが唱えた新しきモラルの実践か、と揶揄された<ref>澤地久枝『昭和史のおんな』文藝春秋 1980年</ref>。
 
==著書==