「カトリック長崎大司教区」の版間の差分

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==沿革==
*[[1866年]]([[慶応]]2年)
**'''日本[[使徒座代理区]]'''長に任命された[[ベルナール・プティジャン|ベルナール・タデ・プティジャン]][[神父]](のち[[司教]])が代理区長館を[[横浜市|横浜]]から[[長崎市|長崎]]へ移す。
*[[1876年]]([[明治]]9年)
**日本使徒座代理区が南北に2つに分割。プチジャン司教は、近畿、中国、四国、九州の各地方を管轄する'''日本南緯使徒座代理区'''の代理区長となる。
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*[[1891年]](明治24年)6月15日 - [[教区|司教区]]に昇格し、'''長崎司教区'''となった。
*[[1927年]]([[昭和]]2年)
**[[3月18日]] - 鹿児島使徒座知牧区の新設に伴い、[[鹿児島県]]・[[沖縄県]]を委譲。
**[[7月16日]] - 福岡司教区が新設されたことにより[[福岡県]]・[[佐賀県]]・[[熊本県]]・[[宮崎県]]・[[大分県]]の5県を委譲し、長崎県だけが管轄となる。
**[[10月30日]] - [[早坂久之助]]神父が日本人として初めて司教に[[叙階]]。日本最初の邦人教区となる。
*[[1937年]](昭和12年)- 早坂司教が辞任。後任に山口愛次郎神父が任命される。
*[[1959年]](昭和34年)
**[[5月14日]] - 長崎司教区が'''長崎大司教区'''に昇格。これにより、福岡・大分・鹿児島・那覇の各司教区を束ねる[[教会管区]]となる。
**[[9月27日]] - 山口愛次郎司教が[[大司教]]に昇任。
*[[1962年]](昭和37年)[[1)1月1日]] - [[司教座聖堂]]が、それまでの[[大浦天主堂|大浦教会]]から[[浦上教会]]に変更される。
*[[1968年]](昭和43年)[[12)12月19日]] - 山口大司教が辞任。後任に鹿児島司教区の[[里脇浅次郎]]司教が任命される。
*[[1969年]](昭和44年)[[3)3月16日]] - 里脇大司教が着座。
*[[1978年]](昭和53年)- 松永久次郎神父が補佐司教に叙階<ref>松永久次郎司教は[[1991年]](平成3年)[[1)1月15日]]に福岡教区司教として着座。</ref>。
*[[1979年]](昭和54年)[[6)6月30日]] - 里脇大司教が日本人として3人目の[[枢機卿]]に親任。
*[[1989年]]([[平成]]元年)
**大司教館が大浦教会敷地([[旧長崎大司教館]])から現在地に新築移転。浦上教会と道路を挟んで隣接する現在地は、それまで長崎公教神学校があった場所で、同時に長崎公教神学校もその隣に新築移転して[[長崎カトリック神学院]]に名称を改めた。
*[[1990年]](平成2年)
**[[2月8日]] - 里脇大司教が辞任。後任に浦和司教区の島本要司教が任命される。
**[[5月8日]] - 島本大司教が着座。
*[[2002年]](平成14年)
**[[1月23日]] - [[聖スルピス会|サン・スルピス会]]の[[高見三明]]神父が長崎の補佐司教に任命される。
**[[4月29日]] - 高見神父が司教叙階。
**[[8月31日]] - 島本大司教が急逝。長崎大司教区が司教座空位となる。
*[[2003年]](平成15年)
**[[10月4日]] - 高見補佐司教が大司教に任命される。
**[[12月14日]] - 高見大司教が着座。
 
===歴代司教(教区長)===