「阿部健太」の版間の差分

{{by|2002年}}の[[2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で、[[大阪近鉄バファローズ]]から4巡目で指名され入団。
 
=== 近鉄・オリックス時代 ===
{{by|2003年}}後半に高卒新人ながら一軍昇格し、先発で2勝を挙げた。さらに終盤に1回の先発登板機会があったが、新人王の資格を残すために<ref>{{Cite web |date=2013-07-04 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/04/kiji/K20130704006145710.html |title=10年前に阿部と勝利つかんだ的山コーチ「もっと勝つと思っていた」 |publisher=スポーツニッポン |accessdate=2013-07-04}}</ref>その後の一軍登板が無かった。その当時の投球フォームが[[岩隈久志]]と瓜二つだったことや、阿部の背番号は岩隈が入団した当時の背番号だったこと、さらに痩せ型の体型も同じだったことから「岩隈2世」と呼ばれた。
 
しかし、{{by|2004年}}以降は伸び悩み、成績次第では登録名を「ケンタ」とする構想があったが、見送りになった。近鉄の最終試合となった9月27日の対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦([[神戸総合運動公園野球場|Yahoo!BBスタジアム]])では、岩隈に次いで2番手として投げて敗戦投手となり、近鉄最後の敗戦投手となった(最後の勝利投手は[[高木康成]])。
===オリックス時代===
 
2004年オフ、[[選手分配ドラフト]]でオリックス・バファローズへ移籍。{{by|2005年}}・{{by|2006年}}の一軍登板は、数試合の敗戦処理だけだった。{{by|2007年}}は一軍登板がなく、同年11月に[[濱中治]]・[[吉野誠]]との交換トレードで、[[平野恵一]]とともに[[阪神タイガース]]へ移籍。
 
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