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日本のカトリック教会の見解は下記の通り。上記の大使館名変更不可の経緯についても触れている。
*[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?] - カトリック中央協議会
 
また、退位した教皇の称号である[[名誉教皇]]を別称して「名誉法王」ともいう<ref>「(地球24時) ローマ法王、退位後は「名誉法王」に」『朝日新聞』2013年2月27日朝刊12頁、 「ベネディクト16世、退位後「名誉法王」に」『産経新聞』2013年2月27日東京朝刊国際面、「ローマ法王庁 退位後の呼称は「名誉法王」(ダイジェスト」)」『日本経済新聞』2013年2月27日朝刊7頁、「ローマ法王:最後の一般謁見、信徒15万人 別れ」『毎日新聞』2013年2月28日東京朝刊9頁、「ベネディクト16世 歴史的「名誉法王」 バチカン市内で隠居 慣習化の可能性」『読売新聞』2013年3月1日東京朝刊6頁参照。</ref>。
 
== イスラム教 ==
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[[カリフ]]は[[マムルーク朝]]の滅亡後いったん途絶え、[[18世紀]]後半から[[19世紀]]に[[オスマン帝国]]の皇帝がスルタンにしてカリフを兼ねる存在であるという言説とともに復活するが、この時代においても帝国内の宗務は[[ウラマー]]の最高位であるシェイヒュルイスラームの権限であり、帝国外の宗務について[[オスマン帝国]]の力は及ばなかった。近代における[[カリフ]]は宗教的な指導者ではなく、全[[スンナ派]][[イスラム世界]]の名目的な首長ととらえられていたとみるべきである。これは[[ローマ教皇]]よりも、当時、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]]の権威を引き継いだと主張する[[ロシア帝国|ロシア皇帝]]が、全[[正教会]]に対する保護者を自認していたのに似ている。
 
== 参照文献 ==
*『朝日新聞』2013年2月27日朝刊
*『産経新聞』2013年2月27日東京朝刊
*『日本経済新聞』2013年2月27日朝刊
*『毎日新聞』2013年2月28日東京朝刊
*『読売新聞』2013年3月1日東京朝刊
== 関連項目 ==
 
* [[教皇]]
 
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