「ウィリー・エイキンズ」の版間の差分

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貧困の家庭で生まれ育った。学生時代は野球のみならず、[[サッカー]]や[[バスケットボール]]でも傑出した才能を発揮した。{{by|1975年}}1月の[[ドラフト会議 (MLB)|MLB2次ドラフト]]1巡目で全体2位指名を受け、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|カリフォルニア・エンゼルス]]に入団した。
 
{{by|1977年}}5月17日の対[[ボストン・レッドソックス]]戦でMLB初出場デビュー
 
{{by|1979年}}はエンゼルスの正[[一塁手]]に定着し、[[打率]].280・21[[本塁打]]・81[[打点]]を記録した。しかし、12月6日に[[トレード#メジャーリーグ|トレード]]で[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]へ移籍した。
 
{{by|1980年}}は打率.278・20本塁打・98打点の成績で、本塁打数と打点数は[[ジョージ・ブレット]]に次いでチーム2位を記録した。この年のロイヤルズは[[1980年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]で[[ニューヨーク・ヤンキース]]を3連勝で下し、[[フィラデルフィア・フィリーズ]]との[[1980年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]に進出を果たした。エイキンズはワールドシリーズの第1戦と第4戦で2本塁打ずつ放ち、6試合で打率.400を記録したが、チームは2勝4敗でワールドチャンピオンを逃した。同一シリーズで1試合2本塁打を2度記録している選手は他に{{by|2009年}}の[[チェイス・アトリー]]のみである({{by|2012年}}終了時)<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1994/12/13/sports/baseball-aikens-gets-20-year-term.html|title=BASEBALL; Aikens Gets 20-Year Term|workpublisher=[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]|language=英語|accessdate=2013年8月2日}}</ref>。
 
{{by|1983年}}に[[規定打席]]未到達ながら、125試合出場で打率.302・23本塁打・72打点を記録した。オフに[[コカイン]]所持の容疑で逮捕。11月17日に有罪判決を受け、チームメイトの[[ウィリー・ウィルソン]]、元チームメイトの[[ヴァイダ・ブルー|バイダ・ブルー]]、[[ジェリー・マーティン (野球)|ジェリー・マーティン]]と共に[[懲役]]3ヶ月を言い渡された<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1983/10/18/sports/blue-pleads-guilty-to-cocaine-charge.html|title=BLUE PLEADS GUILTY TO COCAINE CHARGE|workpublisher=The New York Times|language=英語|accessdate=2013年9月19日}}</ref>。12月20日にロイヤルズが[[トロント・ブルージェイズ]]との間でトレードを成立させ、ブルージェイズへ移籍した。
 
[[ボウイ・クーン]][[メジャーリーグベースボール#コミッショナー制度|コミッショナー]]から1年間の[[出場停止]]処分を受けたが、その後に処分が見直されて{{by|1984年}}5月15日に復帰した<ref>{{Cite web|url=http://articles.latimes.com/1997/aug/21/sports/sp-24663|title=Baseball Drug Suspensions|workpublisher=[[ロサンゼルス・タイムズ|Los Angeles Times]]|language=英語|accessdate=2013年9月19日}}</ref>。1984年は93試合に出場して打率.205・11本塁打に終わった。
 
{{by|1985年}}はシーズンのほとんどを傘下AAA級[[シラキュース・チーフス|シラキュース]]で過ごした。また、この年の9月に[[ピッツバーグ]]の[[大陪審]]で行われた[[ピッツバーグ・コカインスキャンダル]]の薬物[[トライアル (裁判)|裁判]]に召喚されて証言した。
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その後は{{by|1986年}}から{{by|1991年}}まで[[メキシカンリーグ]]の[[プエブラ・パロッツ|プエブラ・エンゼルス]]、[[ハリスコ・チャロース]]、[[レオン・ブレーブス]]、[[モンテレイ・サルタンズ|モンテレイ・インダストリアレス]]に所属した。
 
1986年オフに[[日本プロ野球]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]がエイキンズの獲得を目指し、エイキンズ自身も日本でのプレーに興味を持っていたが、交渉直前になって[[ヤクルト本社]]から「健康を売り物にしている会社。企業イメージが悪くなる」という懸念が指摘され、解雇する予定だった[[マーク・ブロハード]]は残留、入団は幻に終わった<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10january/KFullNormal20100101188.html|title=【1月9日】1987年(昭62) 企業イメージが…前歴アリ!幻のヤクルト4番・エイキンズ|workpublisher=[[スポーツニッポン|スポニチ]]|accessdate=2013年8月2日}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
エイキンズは[[1991年]]から[[1994年]]まで[[薬物乱用|ドラッグ]]を常用していた。警察は[[1993年]]12月にエイキンズが自宅で麻薬を密売したとの情報を得て、彼の住むマンションを監視下に置いた。エイキンズの家に出入りする多数の人物を観察した後に短期間の滞在を終了した<ref name="US Law">{{Cite web|url=http://law.justia.com/cases/federal/appellate-courts/F3/64/372/631518/|title=64 F.3d 372: United States of America, Appellee, v. Willie M. Aikens, Appellant|workpublisher=Justia US Law.com|language=英語|accessdate=2013年8月2日}}</ref>。1994年3月2日に女性私服警官への複数回に渡る[[クラック・コカイン]]の密売により、自宅で逮捕された<ref>{{Cite web|url=http://www.nytimes.com/1994/03/03/sports/sports-people-baseball-aikens-arrested.html|title=SPORTS PEOPLE: BASEBALL; Aikens Arrested|workpublisher=The New York Times|language=英語|accessdate=2013年8月2日}}</ref>。同年12月12日に開催された複合量刑の[[公聴会]]で判決が下り、連邦量刑ガイドラインに基づいてコカイン密売では最高刑となる懲役15年8ヶ月に、コカイン販売時に弾丸を充填した銃器を所持していた罪で5年が加えられた。<ref name="US Law"></ref><ref name="ESPN">{{Cite web|url=http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=3425498|title=Ex-major leaguer Aikens released after nearly 14 years|workpublisher=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語|accessdate=2013年8月2日}}</ref>。
 
連邦量刑ガイドラインの改正に伴い、[[2008年]]6月4日に釈放された<ref name="ESPN"></ref>。11月に[[カンザスシティ・スター]]紙を通じてロイヤルズのファンや[[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]の人々に対して謝罪した。