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== M1940からBTへ ==
新たな戦車ドクトリンに基づいて高速戦車を求めていたソ連軍は、カニンガムT1軽戦車(32km/h)を購入するために、1928年10月に赤軍兵器本部機械化自動車化局のハレプスキー局長が極秘裏に渡米し、彼はそこで超高速のクリスティー戦車(M1928で履帯装着時68.5km/h、装輪走行時111.4km/h)の存在を知り、カニンガムT1軽戦車に対する興味つけ失い、クリスティーとの粘り強い交渉の末、クリスティー戦車の購入に至った。二輌輸入されM19402輌のM1940(あるいはM1930)を使って[[1931年]]3月から試験開始、その結果をもとに各部を強化するなどして、最初の量産型'''BT-2'''を採用した。改良ポイントとしては砲塔の新設、車体前部形状の変更、操縦士ハッチの変更、[[アルミニウム|アルミ]]合金製の転輪をスポーク型の[[鋳造]]製、また後にプレス[[鋼|鋼板]]製に変更、途中から前部フェンダーの増設などである。BT-2の成功に気を良くしたソ連陸軍はその後改良型BT-5、BT-7を生産した。総生産台数は7000輌を上回る。大演習でBTが存分に機動力を発揮する様を見た[[イギリス軍]]武官の報告は、以後の[[巡航戦車]]の設計に影響を与えている。
 
== 実戦での活躍 ==