「矯正局」の版間の差分

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==組織の問題点==
2001-2002年に発覚した[[名古屋刑務所]]の[[刑務官]]によるとされる[[名古屋刑務所#名古屋刑務所事案|受刑者への暴行致死傷事件]]で矯正局の隠蔽体質が指弾され、矯正行政への信頼が失墜した。法務省内の調査検討委員会の中間報告は矯正局長に検事を充ててきたことの功罪まで言及した<ref>『ドキュメント検察官』 149-150頁。</ref>。元検事総長の[[但木敬一]]は矯正局のトップは検事にこだわらず適材適所で考えた方がいい時代になったと思うと述べている<ref>『ドキュメント検察官』 129頁。</ref>。
 
法務省の局長や課長は検事のキャリアアップの一つとみなす風潮があり、公判が終わって刑が確定した後の活動には熱心ではなかった。約2年で局長や筆頭課長の異動が繰り返されることもあり、受刑者など被収容者の処遇改善は中々進まなかった。1982年から3度にわたって法案が提出されては廃案を繰り返してきた監獄法の改正はそれを端的に示している<ref name="kensatsu"/>。
 
その後、検事の間には、刑事司法で公判までしかみてこなかったことを自戒し、過酷な刑務所の実態を知ろうという動きが起きている。元検事総長の[[松尾邦弘]]は「自分が起訴して有罪にした人々が刑務所の中でどう処遇され、社会に復帰していくのかもっと関心を持つべきだ」と語っている<ref>『ドキュメント検察官』 151-152頁。</ref>。
 
==脚注==