「藤堂高邦」の版間の差分
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「[[久居市史]]」によると、[[文久]]3年([[1863年]])8月に第15代藩主・[[藤堂高聴|高聴]]が亡くなり、その嫡男である[[藤堂高行|高行]]が継ぐはずだったが10月に死去したため、高邦が急遽養子(高聴か高行の)となって家督を継いだ。12月6日に従五位下・佐渡守に叙位・任官する。
[[慶応]]2年([[1866年]])、[[山城国|山城]]宇治橋、伊勢山田の警護を
明治17年([[1884年]])の[[華族令]]で[[子爵]]に任じられる。明治35年(1902年)4月6日に[[東京]]で死去した。享年57。跡は先代[[藤堂高聴|高聴]]の子の[[藤堂高義|高義]]が継ぎ、実子の[[藤堂高亮|高亮]]は分家した。
{{久居藩主|16代|1863年 - 1871年}}
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[[Category:久居藩主|*16]]
[[Category:幕末の大名]]
[[Category:幕末津藩の人物]]
[[Category:日本の子爵]]
[[Category:1846年生]]
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