「理研グループ」の版間の差分

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理研コンツェルン(「理研産業団」とも呼ばれる)は[[渋沢栄一]]が設立した[[財団法人]](のちに[[特殊法人]]化→[[独立行政法人]]移行で現在に至る)[[理化学研究所]]の研究成果を企業化して生まれた関連会社群からなる新興[[財閥]]だったが、[[GHQ]]から[[十五大財閥]]指定を受け、[[財閥解体]]により[[持株会社]]だった理化学興業は解体。その後、理研光学(現在の[[リコー]])の[[市村清]]により三愛会を結成。現在は‘リコー三愛グループ’と称している。
 
また、政府との関与が濃厚であったため、戦後、融資系列が旧[[日本勧業銀行]]・旧[[日本興業銀行]](いずれも在の[[みずほ銀行]]・[[みずほコーポレート銀行]])など、かつての[[特殊銀行 (日本金融史)|特殊銀行]]の流れを汲む銀行となっている企業が多い。
 
== 主要会社 ==
子会社や関連会社まで含めると膨大な数に上る為、ここでは、理研リコー三愛グループの社長会である'''三愛会'''常任理事会社(6社)及び会員会社(46社)、の主要会社のみを挙げた。
 
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備考欄・・・「※1」の[[会社]]は、主管企業である。
 
=== 過去の理研コンツェープ ===
'''機械・金属'''
*[[宇部マテリアルズ]](旧・理研金属の第二会社として設立した'''宇部化学工業'''(UBEグループ)が前者を吸収合併。その後、カルシウム生産会社で同じく[[宇部興産]]に買収されたカルシード(旧・日本石灰工業)を合併し現社名へ)
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* [[市村清]]
* [[三愛ドリームセンター]]
* [[芙蓉グループ]]
* [[興銀グループ]]
* [[第一勧銀グループ]]
* [[みずほグループ]]
** [[芙蓉グループ]]
** [[第一勧銀グループ]](勧銀十五社会)
** [[興銀グループ]]
* [[理研農産化工]](佐賀市)
*:直接の資本関係は存在しないが、創業時から理化学研究所が技術指導を行っていた関係で、理研解体後に名称使用の承認を得た。佐賀市は市村の地元でもある。
*[[中日ドラゴンズ|産業軍]]
*:プロ野球チーム。もともとは[[新愛知新聞社]]→[[中日新聞社|中部日本新聞社]]が保有する「名古屋軍」だったが、経営難の為、1944年1シーズンのみ理研グループ工業の傘下に入り、選手たちも工場で勤労奉仕した。戦後、中部日本新聞社が経営に復帰し、中日ドラゴンズとなる。
 
== 外部リンク ==